若草写真館 ドイツ旅行記 スイス2大アルプス旅行記  フランス旅行記

 
 
6 10月1日
(月)
ツェルマット
●ゴルナーグラードへ
 登山後ジュネーブから
 パリ近郊ロワシーへ
登山列車にて標高3,130mのゴルナーグラート展望台へ。
着後、4大名峰の一つマッターホルン観光。
観光後、ジュネーブから高速列車TGV(2等車)で、パリ近郊ロワシーへ。
 7  10月2日
(火)
ロワシー発
●パリ市内観光
ベルサイユ観光
      
ロワシーへ
午前/パリ市内観光(△ノートルダム寺院、△エッフェル塔、△凱旋門、△シャンゼリゼ通り、△コンコルド広場)。
午後/【世界遺産】◎ベルサイユ宮殿観光。
 8 10月3日
(水) 
ロワシー発
  モンサンミッシェルへ
モンサンミッシェル観光
午前/モンサンミッシェルへ。昼食後、
海上に浮かぶ神秘的な修道院【世界遺産】◎モンサンミッシェル修道院観光。 
 10月4日
(木)
モンサンミッシェル発
ルーブル美術館観光
 観光後パリ発21:00
午前/バスにてパリへ。
午後/ダ・ヴィンチ作「モナリザ」で有名な◎ルーブル美術館観光。
21:00/パリより空路、帰国の途へ(ソウル乗り継ぎ)。 
10 10月5日
(金)
ソウル着14:45
福岡空港着 19:50
ソウル着14:45 ソウル発18:30  福岡空港着19:50。 
スイス・ジュネーブのコルナバン駅   ここでドイツ・スイス旅行の観光バス・マーメイド運転手とお別れしました。
 
コルナバン駅のTGVホームは複雑でコンコースはスイス領でホームはフランス領だそうです。
スイス領は床が赤でした。茶色はフランス領です。途中には簡単なフランスの入国審査所がありました。ここから先は撮影禁止とのこと。
ジュネーブ線はパリ・リヨン駅が終着です         フランスを代表する高速列車TGVに乗車 
フランス・パリ
 
 10月2日(7日目) フランス・ロワシー ホテル ルレ スパ パリ ロワシー AM8:00出発
            ロワシ~パリ市内観光~ベルサイユ観光~ロワシー(連泊)
 パリ市内観光
 
凱旋門
凱旋門は、高さ約50m、幅約45mという巨大な建造物でオステルリッツの戦いの後、フランス軍の勝利と栄光を称えるため、ナポレオンが作らせた凱旋門。1806年に着工1836年に完成。完成した時には、威風堂々とした姿はいまなおパリを訪れる人を惹きつけています。
 現地ガイドの案内で地下通路を辿っていくと凱旋門に到着。272段の螺旋階段ではなくて今日はエレベータで凱旋門展望台に登りました。事前情報でもこの展望台に登ることは難しいと諦めていましたが、ラッキーでした。エレベータを降りた階のフロアはお土産屋と、凱旋門の歴史などを展示。さらに階段を上がるとパリの四方が見渡せる広い展望台あり、凱旋門から伸びる各パリの通りがパノラマで見渡せ素晴らしい景色でした。
 凱旋門  無名戦士の墓、
 広い展望台  モンマルトルの丘方面、サクレクール寺院
 凱旋門を中心に、放射線状に伸びていく12本の通りがよくわかり美しい風景でした。
モンマルトルの丘、コンコルド広場、エッフェル塔・・・、などのパリのシンボルが、一望できました。
 モンマルトの丘方面  シャンゼリゼ通り
 凱旋門は、高さ約50m、幅約45mという巨大な建造物
 
エッフェル塔
フランス革命100周年を記念して行われた第3回パリ万国博の際に建てられた塔。当時は、「景観を損ねるもの」として大きな反発にもあったが、今ではすっかり街の顔となり3階の展望台からの眺めは抜群。人気スポットで入場には時間がかかるそうです。夜景も人気だそうですが今回は混雑が予想され入場することはできませんでした。
 エッフェル塔の高さは320.75m 工期は1年3か月という早さで完成したそうです
 
 今回はエッフェル塔のti近くの展望所から写真撮影のみです。 残念。
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パリのセーヌ河岸  セーヌ川 (Seine)
セーヌ川は全長780kmの、フランスではロワール川に次ぐ長さを持つ川でパリ市内の南東から緩いカーブを描いて南西に流れています。
パリの町はセーヌ川によって二分されていて、重要で有名な川です。セーヌ川の一部は「パリのセーヌ河岸」として1991年ユネスコの世界遺産に登録されています。
ポン・デザール(芸術橋)
cadenas d'amour (愛の南京錠)
ルーブル宮に直接入れるようナポレオン1世が架けた橋歩行者専用でフランス初の鉄骨製ですが現代は、恋人達に人気の橋となっているそうです。

バスでパリ市内を観光する度、何度もこのパリらしいセーヌ川沿岸を走りました。この若者達が多い橋に興味を持ちカメラを向け撮影しました。恋人と橋そして愛の南京錠がうまく収まりました。
橋の柵には沢山引っかかっているのは恋人達が愛を誓った南京錠。南京錠に2人の名前を書き、柵に ひっつけて鍵はセーヌ川に流すのが恋人達の風習だそうです。二人の愛はガチーンと結ばれて離れないので鍵はいらないとのこと。

 セーヌ川には日中・夜ともに遊覧船が運航していて、夕暮れ時の時間なら夕焼け・夜景を1度に楽しむことができるそうです。
 
 セーヌ川の左岸左岸「Rive Gauche」と言い、教育機関が多く、文化活動がさかんな街です。だから、パリっ子の間では「右岸ではお金を使い、左岸では頭を使う」というジョークまであるそうです。
名物:エスカルゴ料理
パリでの昼食は前菜 「エスカルゴ」カタツムリです。フランス料理でエスカルゴは前菜として出てきます。エスカルゴ自体は貝類と変わりない食感ですが、かかっているガーリック風味のオリーブオイルがおいしくてこのソースをフランスパンにつけて食べると最高でした。
メインは 「白身魚」でした
コンコルド広場
1755年、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていました。その後、フランス革命の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットへの処刑が行われた刑場でした。1
このオベリスクはエジプト・ルクソールのルクソール神殿に立てられた一対のオベリスクのうちの1本で,19世紀にパリに運ばれてきたものです。もう1本はいまもルクソール神殿に残っています。 
 
 
ヴェルサイユ宮殿

1979年、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されたヴェルサイユ宮殿は、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名。ブルボン朝の王宮であったヴェルサイユ宮殿と、離宮の大トリアノン、小トリアノン、王妃の村里などで構成されています。

フランス王国がその絶頂期にあった1682年から1789年まで王宮があり、政治の中心であったヴェルサイユ市。その中心はブルボン王朝の優雅な宮廷生活を今に伝えるヴェルサイユ宮殿です。
パリ郊外の寒村にすぎなかったヴェルサイユに宮殿を建造することを命じたのは「太陽王」と称えられるルイ14世。建築家ル・ヴォー、室内装飾家ル・ブラン、造園家ル・ノートルという当時の一流の芸術家・技師らによって設計された宮殿は見事なまでの建築美を奏でいます。宮殿の鏡の間やヘラクレスの間など細部にまで気を配った室内装飾、あるいはフランス式庭園の粋を集めた庭園などは、17世紀フランス文化の頂点ともいえるそうです。
しかし、フランス革命によりヴェルサイユ宮殿の役割は終止符を打ち、ルイ16世の妃マリー・アントワネットも反逆罪でギロチン刑に処せられてしまいました。
 ルイ14世が最後に建設した、王室の礼拝堂。入り口で観覧のみ許され、中に入ることはできませんでした。1770年5月、この礼拝堂においてルイ16世と14歳のマリー・アントワネットとの結婚式が執り行われたそうです。
アントワネットはオーストリア女帝マリア・テレジアの9番目の子で、オーストリアとフランスの同盟関係を深めるための結婚でした。12歳からフランス王太子妃としての教育を受け始めるが、勉強嫌いの読書嫌い、そして移り気で享楽的な性格だったといわれています。それでいて非常に愛らしく魅力的な少女だったそうで、「人を指に巻く少女」と称されたともいれます。
この礼拝堂は2層構造になっていて、階上席が国王や王族、宮廷要人の席だそうです。
「鏡の回廊」と言い、完成したのは1686年。かつては王の正殿に通じており、毎朝、礼拝堂に赴く国王を一目見ようと、貴族たちが集まった。また、王家の結婚式の際に催される正装舞踏会や仮面舞踏会などが開かれた。シャンデリアは全部で24本で天井画はルイ14世の戦争と治世の歴史をテーマに描かれています。
  「ヘラクレスの間」。1664年にヴェネチア共和国からルイ14世に贈られたヴェロネーゼ作「パリサイ人シモン家の宴」を飾るため、第4礼拝堂があった場所に作られた広間。
 「ヘラクレスの神格化」という天井画のある部屋のため、ヘラクレスの名が付いている
 
ここから眺める庭園はまた見事でした。その特徴は、開放感と広がりで手前の人工物から平野をゆっくり進み、最後は地平線に辿り着く壮大な眺めは計算され尽くした軸線を描いているそうです。 
 「ナポレオン1世の戴冠」の絵が飾られている「戴冠の間」。この絵はルーブル美術館のものとほぼ同一のもので、同じダヴィッドによる作品である。ナポレオンが教皇の手によらず自分で王冠を取り上げて被ってしまったことに非難が起きたため、ダヴィッドは皇妃ジョゼフィーヌに被せようとしているシーンとして描いたということです。
 「大会食の間」に飾られている、ヴィジェ・ルブラン夫人による1787年の作品。あまりにも有名なマリー・アントワネットと3人の子どもたちの絵です。右側にいるのは王太子ルイ・ジョゼフ、アントワネットが抱いているのは第2王子ルイ・シャルル、左側の王女はマリー・テレーズだ。ルイ・ジョゼフが指差している空っぽの揺りかごは、前年生まれ、この年に亡くなったソフィー王女を暗示していると言われています。 
 
『ハイヒールについて』
当時のヨーロッパにはどの街にも必ず「不潔通り、かわや通り」があった。17世紀初めに作られた
ハイヒールは、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出された「必要に迫られて生まれたもの」で、当時はかかとだけなく爪先の方も高くなっていて中には全体が60cmの高さの物もあったそうです。また、マントも上から降ってくる汚物をよけるために生まれた物だそうです。
『香水について』
ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があった。しかし、宮殿には常時4000人もの人が生活していたので、274個ではあまりに少なかった。そこで近くに便器がない時廷臣たちは、廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足した。貴婦人たちの傘のように開いたスカートは、このために考案されたといわれている。清潔好きの者は、陶製の携帯用便器を使っていたそうだが、中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は中庭や通路、回廊など糞尿であふれ、ものすごい悪臭だったそうだ。
また、当時の紳士淑女の服は月1回洗濯できれば良い方で、服にカビが生えているのは当たり前だった。お風呂やシャワーも全く利用しなかったため、体臭など臭いをごまかすため、
香水を大量にふりかけていた。ヨーロッパではこういう背景から香水が発達していったそうです。
『エチケット』
現代、「礼儀作法」というような意味で使われているエチケットは、フランス語で「立て札」という意味だそうです。ルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿であまりにも宮廷人たちが手入れした庭に踏み入り、木陰で用を足すので、庭師が「立入禁止」の札を立てたそうです。ルイ14世が立て札を守るように言い守られるようになったそうです。この事があってからエチケットは、今日のような広い意味で使われるようになりました。ただし、エチケットという言葉を礼儀作法という意味で使うようになったのは、19世紀後半の英語圏においてで、本場のフランスでは「savoir vivre(生活の知恵)」というそうです。
 
 
オペラ座(ガルニエ) 
オペラ座(ガルニエ):パリのオペラ座は新オペラ座と旧オペラ座があります。新オペラ座はバスティーユにあり、オペラ公演が中心となっています。旧オペラ座は建築家の名前にちなんでオペラ座ガルニエとよばれ、バレエ公演が中心となっています。
 
 
 フランス・パリのオペラ座前のストリートパフォーマンス
旅行も終盤3番目のフランス。昨日パリの夕方自由時間で街中を歩き疲れてオペラ座の階段で休憩していると突然若いお兄さんがローラスケートで音楽を聴きながら車の合間をスイスイとパホーマンスを初めました。さすがパリ。集合時間まで階段でしばしの見物となりました。
しかしフランス人は高級店やホテルでもマイペースで気ままでお高くとまって頭にきます。添乗員の吉村さんも苦労していました。フランスは財政問題で国として大変な時期で公務員のリストラがはじまり、失業者も高く大変な時期ですので少しはお客にサービスして真面目に働いて欲しい。
 
オペラ座前のストリートパフォーマンス
 
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 観光バスからのパリの街
ムーラン・ルージュはフランス語で「赤い風車」という意味。
有名なキャバレーで 、華やかなショーやディナーが楽しめます 
 街の下着のショウウインドウ
フランス人は服を着た時の事よりも下着だけになったときにどれだけセクシーに見えるかが重要で下着広告によく見られる単語はセクシー、グラムール、セデュースです。フランス人女性は肉食的ですと。
 
 人混みの中・コーヒーを楽しむフランス人  イギリス・ダイアナ元妃が交通事故で死亡したトンネル
 
 
 10月3日(8日目)  フランス・ロワシー ホテル ルレ スパ パリ ロワシー AM8:00出発
            ロワシー~モンサンミッシェル~モンサンミッシェル観光 
 
   
                                                                               
モンサンミッシェル観光
今日はパリから西へ365km(約5時間)のとろこにあるノルマンディ地方のモン・サン・ミッシェル修道院の観光です。
フランス旅行では夜の海に浮かぶ神秘的な修道院を撮影しょうと準備してきました。
バスは高速道路をひた走り、第二次世界大戦時の連合軍のノルマンディ上陸作戦で有名なノルマンディの海岸を目指しました。ノルマンディ地方に入ると、車窓はさらに酪農的雰囲気が増してきて白黒や茶色の牛が牧草をはんでいる姿が頻繁に見られるようになり、午後1時過ぎに宿泊ホテルがあるモン・サン・ミッシェル村に到着。昼食休憩後はいよいよモン・サン・ミッシェル修道院の見学です。天気は時々小雨で夕日は諦めてホテル近くの海岸から夜の撮影になりそうです。
 
 昼食はモンサンミッシェルの名物のふわふわオムレツの昼食でした。
 旅行最後の宿泊ホテル  小雨の中 雨具対策をして修道院へ無料バスで出かけました
 
 モン・サン・ミッシェルは湾に浮かぶ天然の岩山に築かれた人工の要塞であり、修道院を中心とした村でもある。カトリックの巡礼地のひとつであり、その景観や建築技術の見事さなどから「西洋の驚異」と称されています。 
かつては海の潮が引いたときにだけ現れる陸橋でのみ、陸と繋がっていた。1877年にこの道路が造られ、1979年には「モンサンミッシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産に登録された。島の人口が20人余りのところに、年間観光客が200万人も集まるのだそうです。一大観光地となっていました。
ヨーロッパ最大の干満差が観測され、かつては満潮になると島への道が消えてしまい、波にのまれた巡礼者も数多かったようだが、現在は堤防によって結ばれ、潮の満ち引きに関係なく訪れることができます。しかし、近年はその堤防のせいで砂が沈殿、堆積し、ぐるりと海水で囲まれることは稀となってしまった。海が「馬が駆けてくるような」速度でモン・サン・ミッシェルまで押し寄せる光景はなかなか見られなくなってしまったそうです。
2005年より、障害となる砂と車を整理し、モン・サン・ミッシェル本来の姿に戻す環境整備工事が進められていました。周辺は危険な流砂床となっており、勝手に歩くのは禁止されているが、ガイドを伴って散策するツアーは開催されているそうです。
 
島の入口から修道院へは、堤防からラヴァンセ門をくぐり進み、みやげ物店、名物のオムレツを供するレストラン、ホテルなどが軒をつらねる参道グランド・リューGrande Rueが修道院までのび、シーズン中は数多くの観光客でにぎわうそうです。当日は小雨の中、観光客も少なくゆっくり観光できました。
   
 モン・サン・ミシェルの・グランド・リュー  修道院へと続くモン・サン・ミッシェルのメインストリート。全長100mほどの通りでした。
 
 モン・サン・ミシェル湾にそそぐクエノン川にダム(クエノン・ダム)を造ってその水流を利用し、大陸とモン・サン・ミシェルの間に堆積した沈積物を完全に取り除くという壮大な計画。ダムの上の遊歩道は、モン・サン・ミシェルを眺めるのに絶好のビューポイント。そして、モン・サン・ミシェルと対岸を結ぶのは、歩行者とシャトルバスだけが通れる、橋げたが非常に細い橋だけとなります。この工事は、2012年に終了する予定だそうです。
 干潟を歩く人がいました  修道院附属の教会
・ラ・メルヴェイユ(驚異)
13世紀に増築された修道院北側に位置する3層のゴシック建築で、その装飾の美しさからラ・メルヴェイユと呼ばれています。この三層構造は、聖職者・貴族・平民の社会的地位と、精神性・知性・物欲の精神的段階の象徴で修道僧たちの憩いと瞑想の列柱回廊です。
  修道院尖塔の大天使ミカエル像 
モン・サン・ミッシェルのカミエル像は1897年、エマニュエル・フレミエによって製作されました。それと同じもの黄金版が尖塔に乗っかっています。足で踏みつけているのは、退治したドラゴンです。
 左は望遠カメラで写した尖塔に輝くカミエル黄金像  右は修道院内部にあった同じ形状のカミエル像
 この修道院は11世紀に建築が始まり、ロマネスク様式と16世紀のゴシック様式が混在しています。外観は簡素なロマネスク様式です。だが建物が何度も崩れ、建て直しているうちに内部には丈夫なゴシック様式が増えていったそうです。
 北塔からの修道院の東側全景
モン・サン・ミッシェル修道院の夜景撮影
宿泊ホテル前のレストランで夕食後、早速モン・サン・ミッシェル修道院の夜景撮影に出かけました。ホテルから200mm先にある土手に架かっている橋の中央に三脚と200mm望遠レンズで撮影。潮が満ちて修道院の建物の周りは波が立ち、その波にライトがあたり、綺麗な光の影ができていました。
次に日本からきた女子カメラマンとこの場所からさらに500m先から撮影して夜10時にホテルへ。
 
 10月4日(9日目) モンサンミッシェル・フォーミュラーヴェールホテル発 AM8:15
  モンサンミッシェル~ルーヴル美術館観光~パリ空港より帰国
ルーヴル美術館観光
     
世界最大級の美術館で、古代からルネッサンスを中心とした超有名作品が一堂に会する「美の要塞」。
もちろん世界的に名高いルーヴル美術館は、「パリのセーヌ河岸」の一部として世界遺産にも登録されています。
絵画が好きで美術館巡りを趣味とする人は、このルーブル美術館の見学は楽しみにしていたと思います。
ルーブル美術館をじっくり鑑賞しようとすれば一ヶ月以上かかると言われます。それは敷地面積は40ha、展示面積は60000㎡、常設展示数は26000点だそうで一作品を1分ずつ鑑賞したとしても、433時間かかる計算です(日数でいうと丸18日)。それに、ルーブルの所蔵作品数は30万点以上 ルーブル美術館の年間訪問者数は900万人だそうです。
日本の美術館と大きく違う点として、写真撮影ができたりイーゼルを立てて模写する事もできるので世界中から画家や美術家、イラストレーター等アーティストを目指す人たちが独学の為に集ります。パリの小・中学生が美術の授業の一環として館内で模写していることもあるそうです。
それで結論は2時間の見学時間ではどうしょうもないので 三大至宝を中心に撮影と見学をと思いました。
     
ルーヴル美術館の三大至宝。 ①モナリザ、②サモトラケのニケ、③ミロのヴィーナス
グランド・オダリスク   1814年 油彩・カンヴァス 
この絵がサロン展に出品された時、意地悪な評論家は「このモデルの頸椎骨は3つ分長い」と指摘したそうです。また美術史学者ケネス・クラークがそのことを取り上げて、「当時の評論家はいかに熱心に仕事をしていたかがわかる」と書いているのは彼のイギリス人らしいHumourで面白い。見れば見るほどおかしな絵だが魅力は十分。オダリスクOdalisqueとは中近東のハーレムの女奴隷のこと。
民衆を導く自由の女神  1830年
ドラクロワの大作で、三日間革命を描いたものですが、自由の女神が肌もあらわに先頭を進んでいくのが印象的な画
絵の中心に描かれている民衆を導く果敢な女性は、フランスのシンボルである、マリアンヌの代表的な例の1つである。 
 
 ナポレオン一世の載冠式
、1804年12月2日に行なわれたナポレオンの戴冠式を描いた『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』。フランス新古典主義時代最大のダヴィッドの傑作で、ルーヴル美術館でも最大級の大きさだそうです。
 しかし、この絵は実際の式典よりかなり脚色されて描かれているそうです。例えば、当初の構図では皇帝ナポレオンが自身で戴冠する姿で描かれる予定であったが、ダヴィッドが皇帝は自身にではなく妻ジョゼフィーヌに戴冠する姿に、NHKでも放送されましたが、下絵はローマ教皇が両手を膝の上に置いていたものが、祝福し賛同していることを表現するように、聖母マリアの受胎を祝福する天使のポーズと同じ手の仕草に変更されたそうです。これによって皇帝ナポレオンが絵の主人公であることを明確に修正されましたが、自身は本作を大変賞賛したと伝えられています。
作者のダヴィットの下絵では、剣を持ちながら自分の頭に月桂冠を載せるナポレオンが描かれていたのに、何故主役の構図が変わってしまったのかは、今も謎のままだそうです。
「ナポレオン1世の戴冠式」の絵はルーヴル美術館にあるのが一作目でヴェエサイユ宮殿のものは複製だそうです。
当時の画壇においては、複製の作品は元の作品とはどこか一ヶ所以上を変えて描かなければならないという決まりがありました。
画面左側に描かれている5人の女性のうち、向かって左から二番目の女性の服がルーブルでは白ですがヴェルサイユのはピンクになってます。この女性はナポレオンの妹「ポーリーヌ」だそう。
 ルーヴル美術館  ヴェルサイユ宮殿
   
 
『1』 モナ・リザ  レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。制作年1503年~1506年
  モナ・リザの周りには、半円形の形にロープが渡していましたが、運よく最前線で撮影ができました。
この絵のモデルはフィレンツェの裕福な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザであるとされています。家名の「ジョコンド」がイタリア語で”幸せな””快い”という意味なので、微笑みの表情はそれを表しているのだとか。どこか謎めいた、満足そうな笑みが「家名」を表しているそうです。その他、現地ガイトはモデルの姿勢(右手を左手に添える)、背景の絵はどこかとか色々謎が多い説明でした。
この絵の特徴は、一切の筆跡を残さないスフマート(ぼかし技法)の手法でその完成に相当な時間と手間がかかったそうです。
 
 
『2』 神の芸術サモトラケのニケ
 ニケはギリシャ神話の勝利の女神でルーブル美術館にあるサモトラケのニケ像は、1863年にフランス領事シャルル・シャンポワーゾが、エーゲ海北東のサモトラケ島で発掘したものです。1884年からルーブル美術館ドゥノン翼2Fへと通じるダリュの階段の踊り場に展示されています。
サモトラケのニケは紀元前200年ごろの作品らしいですが、人に翼の生えた天使の原型は、このニケ像だというのが通説です。
。世界的なスポーツ用品社
NIKEのロゴマーク「スウィッシュ・ライン」はニケ=Nikeの翼をモチーフにしています。
頭部と腕が欠けていることで、大きく広げた翼がより強調され、まさに勝利の女神にふさわしく、美しく精悍なフォルムといわれています。そして、その翼と体に纏った薄い衣服を見るだけで風を感じることのできるその姿は、彫刻とは思えない躍動感を感じさせます。
『3』 ミロのヴィーナス
製作は、紀元前100年頃のギリシャで古代ギリシャの等身大の彫刻は、相次ぐ戦乱でほとんどが破壊され 唯一残ったミロのヴィーナスは、「ルーヴルの至宝」です。 後姿は初めて見ました。
 
 眠るヘルマフロディトス(画 家:不明)
少女が独り、裸身もあらわに眠っています。マウスを写真の上に置くと彼女が男性で少女でなかったことがわかります。
この作品の素晴らしい点は、一度にふたつの性を観る事が出来ないところところだそうです。確かに後ろに回らなくては見えない。
しかし、作品の意図がよくわかりません。
 
ルーヴル美術館の観光が終わり、買い物、休憩の後、シャルル・ド・ゴール国際空港へ向かいました。
 パリ発 21:00発(時差―7時間) ~ ソウル着14:25  ソウル発18:30 ~ 福岡空港着19:50
ソウル仁川国際空港(インチョン)で3時間の待ち時間がり、空港内の2階にインターネットや喫茶の無料休憩所がありましたので時間まで過ごし、18:30発で福岡空港へ、10日ぶりの福岡市の夜景が懐かしく思われました。
福岡空港着後、入国手続き、トランクの受取も順調で21時過ぎには帰宅となりました。
ほんとに10日間お疲れ様でした。
 
 
 今回の旅行について
1、野田和宏さんのお手紙の紹介(バスの中で添乗員の吉村陽子さんへ渡した手紙)
感謝と愛情をこめた手紙

長かった『スイス2大名峰とロマンチック街道・モンサンミッシェル・パリ10日間』も残すところ2日間。
9月26日(水)福岡空港北ウイング3・番カウンターで33名の寄り集まりの旅人。人生の大半を終え夫婦で思い出づくりの人、新婚カップとこれからの人生スタートをきる人、親子で思い出の旅をする人、男一人で自由な旅をしょうとする人、そしてかしまし3人組みの娘(元)とやかましい4人組の男集団・・・・。この集団がいよいよヨーロッパの旅へ出発。
1日1日旅が進むにつれ、33名の単なる群れとしての集まりが徐々に集団化し、日を追うごとに家族的な大集団になっていきました。
共に過ごした1週間でしたがこの間いくつかの幸運がありました。
その一つは6日目のマッターホルン観光  朝雲の多い中を出発。お互いに不安な気持ちを持ちながら、一方では期待をしながらホテルを後にしました。登山列車で登頂する中で雄大なマッターホルンが様々な姿を見せてくれました。快晴の中での大パノラマは私どもの想像以上の感動の連続でした。この幸運を与えてくれたアルプスの女神に感謝です。人生最初で最後になるかも知れないこの旅のメーンイベントがこのような形で体験できたことはほんとうに幸運でした。
2つ目の幸運は参加者全員が元気に明るく旅ができたことでした。ユンググラウヨッホの観光で勇敢なお父さんが私どもの集団を離れ、列車の最前列にいた外国人集団と共に行動し短い時間ではしたが一人旅をされ元気で明るく私どもの集団に戻ってこられて拍手喝采でした。添乗員の吉村さん、奥様が大変心配されていたのに。まずはよかったと安堵の一幕もありました。
このような一週間でしたが参加者の皆さんが明るく接していただいたことが何よりでした。
このヨーロッパの旅で一番感じたことは日本料理の美味しさ、おふくろの味の美味しさでした。日頃感じなかった日本の味が懐かしく思われました。
また、日本人の勤勉さと優しさで思いやりの心を実感したことです。ドイツ人の勤勉さは見聞きして感じましたが、日本人のもつサービス精神は一歩も二歩も日本人がリードしていると思いました。これも日本を離れて改めて日本人の良さを感じた旅でした。
最後に添乗員の吉村さんには食事の不満の対応や夜遅くまで心配りの対応をしていただ事、卓越した語学力でよくあるトラブル処理対応や現地ガイド以上の案内をしていただき、最後まで楽しい旅ができましたことに感謝します。
平成24年10月3日  野田和宏 他参加者一同
 
 
2、この旅行記について
  このツアーに参加された皆さんは旅行記掲載の写真をコピーをしても構いません。但しその場合は、使用は家族内にしていただいて第三者への提供は厳禁でお願いします。又、12年前から掲載しているこのホームページはいつでも見れますので必要なときに閲覧してください。又、次の旅行先の選考の資料としてもご利用ください。  
 
3、海外旅行について
退職後の海外旅行は13ケ国、17回の旅行でしたが、そろそろ体力から限界かなと思っていますが、気持ちはまだ挑戦しょうと思っています。
この間の旅行中のアクシデントを紹介します。カナダ旅行では到着したナイヤガラのホテルで早朝奥さんが気が付かない内にご主人がいなくなり捜索していた所、昼ごろ警察からの連絡で発見。本人の話では自宅にいると思い、畑に行こうとホテルを出て路がわからなくなったようでした。エジプトでは到着した2日目にはツアー参加者39名の内半数の方がお腹をこわし、ギリシャでは2名の方が観光中に倒れて入院しました。いづれも海外旅行は初めての方で到着後1・2日目の事でした。海外旅行では出発前から寝不足で、飛行機での疲れや時差の影響がある上に、海外旅行で最初から張切りすぎて、食べすぎや飲みすぎが重なり体調を壊す人が多いようです。
到着後2・3日はゆっくり、食事も控えめにして慣れていった方がいいようです。今後の海外旅行の参考になれば幸いです。
又、どこかのツアーや現地でお会いできることをお祈りいたします。
 
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