福岡空港板付上空 |
韓国航空機内の飛行路モニター |
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飛行機での夕食 |
フランクフルト現地時間18:00到着 |
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ロマンティック街道(Romantische Straße、ロマンチック街道とも)は、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道ルートで街道沿いに点在する中世都市(ローテンブルク、ディンケルスビュールなど)や美しい城(ノイシュヴァンシュタイン城、ハールベルク城など)、宗教建築(ヴィュルツブルクの大司教館やヴィースの教会など)、工芸品(クレクリンゲンのマリア昇天の祭壇など)が点在し、フランケン・ワインやドナウ川のます料理など観光資源が豊富なルートで、最も人気の高い観光街道の一つだそうです。ロマンティック街道はローテンブルクでやはり人気の観光街道古城街道と交差します。
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9月27日(2日目) フランクフルト・ホリデインエアーポートノースホテル:AM7:30発
リューデスハイム・ライン川クルーズ観光 ~ハイデルベルグ観光~ローデンブルグへ
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2日目の朝、7時30分にフランクフルトの飛行場近くのホテルを出て、アウトバーンと呼ばれる高速道路で西へ67km・約1時間でライン川クルーズの出発地であるリューデスハイムに到着。 |
リューデスハイム RUEDESHEIM
ラインの真珠とも呼ばれる小さなかわいらしい町。人口7,000人。ライン河に沿ったなだらかな丘陵地帯を一面のブドウ畑が広がるドイツ有数のワイン産地。有名なつぐみ横丁ではワインの酒場やおみやげ屋さんがぎっしり並んでいました。
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リューデスハイム(Ruedesheim)からサンクトゴア(St.Goar)までのクルーズ
ライン川は全長1320kmでヨーロッパで重要な内陸水路ですが、そのルートのうちライン川中流に位置するマイン~ケルン間は、堤防もなく、自然の景観に最も恵まれた区間として、観光用のクルーズ船が毎日運航されています。我々の乗った区間は、途中5ヶ所で他の観光客を拾いつつ、リューデスハイムからサンクト・ゴアールにいたる約30km(約100分)の行程でしたが、ゆったりとした川の流れに身を任せ、心地よい風を頬に感じつつ、次々に沿岸に現れる古城やブドウ畑、伝説のローレライなどを眺めながら、船旅を楽しみました。
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リューデスハイムの桟橋
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ラインシュタイン城 ラインの宝石ともうたわれた城 |
ライヒェンシュタイン城 |
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船内は古城が近付くにつれ、ドイツ語・英語・フランス語・日本語等での説明があるのでとても分かり易すく又、当日は観光客も少なく両岸の風景を万傑できました。
次々と古城が現れ左側の川沿いには鉄道が走り、その丘の上に次々と美しい城が姿を見せました。又ライン川の輸送路としての貨物船が大きなコンテナ、鉄、木材等を積んで運ぶのにすれ違いました。 |
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ライン川は観光船で楽しむのも良いが、川沿いの列車やモーターボートで味わうのも良いそうです。 |
バッハラッハとシュタールエック城 |
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シェーンブルク城とオーバーヴェーゼルの町 |
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ローレライ
青空とブドウ畑と古城と川の流れを満喫しながら進む。船内にローレライの音楽が流れ出した。右側に大きな岩山が現れ、川は右側に蛇行し流れが速くなる。ここがローレライ伝説の場所だ。 少し期待はずれ。
若い人はローレライの歌は多分知らないと思います。いつの時代から歌わなくなったのか。 |
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ドイツではハイネ作詞の歌で有名で、その意味ではライン川下りの目玉になっているそうです。でも歌を知らないと、ただの崖です。昔は日本でも知られた歌で日本語の歌詞もあります
ローレライの歌
なじかわ知らねど、心わびて
昔の伝えは、そぞろ身にしむ
さびしく暮れゆく、ラインの流れ
入日に山々、赤く映ゆる
(ハイネの詩)
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ラインフェルス城(ザンクトゴア)
1245年に建てられた城は、時代を経るごとに拡張され16世紀後半にはドイツで最も堅固な城の一つとなった。しかし18世紀末、フランス軍により爆破され一時、廃墟と化し、1843年に皇帝ヴィルヘルム1世がここを買い取り修復した。現在、城の一部はホテルとして使われているそうです。 |
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猫城
ローレライの岩山を大きく右カーブすると、正面の山の上に、ザンクト・ゴアルスハウゼン (St.Goarshausen) の町を見下ろすように建つ
「ネコ城」 (Burg Katz) が見えてきました。1371年、フォン・カッツェネルンボーケン伯爵が建てたもので、略してカッツ城、すなわち
「ネコ城」 と呼ばれるようになったそうです。 |
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ローレライの難所を過ぎるとまもなく下船するザンクトゴアールの船着場に到着 |
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船から降り、昼食後、バスは約145kmの道程を2時間でハイデルベルク城に到着。ハイデルベルクはネッカー川沿いのロマンチックな街でした。ドイツ一古い大学都市と言われている文明高きハイデルベルクですが、最先端の学問はもちろん、ドイツにおいて経済的な成功も収めているそうです。
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三十年戦争で破壊されたままの状態で保存されているハイデルベルク城を観光・テラスから美しい旧市街を眺めた後、カールテオドール橋の上からネッカーの川辺を望み、聖霊教会のあるマルクト広場に降りて瀟洒な店舗が並ぶ街路を観光。
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9月28日(3日目) ローデンブルグ城内ライヒス クーヘンマイスターホテル AM8:50発
ローテンブルク観光~デインケルスビュール散策~ヴイース巡礼教会~フュッセンへ
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ローテンブルク
「ロマンティック街道の宝石」と謳われる中世の町並みがそのまま遺る美しい町。右の写真正面の市参事会宴会場の壁面にある仕掛け時計は当地の大酒飲みで町を救ったマイスター・トルンクの故事を伝えるもの。周囲はタウバー渓谷と呼ばれる緑豊かなのどかな渓谷となっている。
ロマンティック街道はこの街で古城街道と交差する。 |
- ローテンブルク (Rothenburg ob der Tauber)
- 「ロマンティック街道の宝石」と謳われる中世の町並みがそのまま遺る美しい町。市参事会宴会場の壁面にある仕掛け時計は当地の大酒飲みで町を救ったマイスター・トルンクの故事を伝えるもので周囲はタウバー渓谷と呼ばれる緑豊かなのどかな渓谷となっていました。
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市庁舎 |
市参事会員酒場 |
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町の中心マルクト広場に面した一際目立つゴシック様式のローテンブルク市庁舎の高さ60mある鐘楼からは、ローテンブルク市内が一望でき、美しい風景でした。 |
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市庁舎の塔からの街並みの絶景
ネットで調べた市庁舎の塔からの街並みを撮影するため、早朝入口を探し、AM9:30から入場できることが判明したので観光後の自由時間で登りました。市庁舎の高さ50mの塔の展望台は狭い螺旋階段を登り、手前で入場料(2ユーロ)を支払い、最大の難関の一人しか入れない展望台入口へ。展望台はせいぜい10人で一方通行の狭い場所でした。しかし、眺めは最高で天気も良く青空と町並みは最高の絶景でした。しばしローデンブルグの展望を満喫しました。 |
市庁舎の塔(左側の白い塔) |
市庁舎の塔からの撮影 |
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「ロマンティック街道の宝石」と謳われる中世の町並みがそのまま遺る美しい町 (市庁舎の塔からの撮影) |
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城内一番人気の街並み |
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聖ヤコブ教会 |
おもちゃ博物館の二階の窓からシャボン玉を振りまくクマさん |
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ディンケルスビュール (Dinkelsbühl)
この町も中世都市が無傷で遺された町でローテンブルクに比べ小規模であるが、そのため一層、中世の面影は色濃いと言われています。毎年7月中旬に行われるキンダーツェッヒェの祭りでも知られるこの祭りは三十年戦争の時に子供達が敵将に町を救ってくれるように懇願し、赦されたという故事に基づいて行われる子供達が主役の祭りだそうです。青空と町並みのカラフルな家が輝き、秋が感じる気持ちのいい散策でした。 |
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ドイツのアウトバーンには速度無制限区間といわれる区間と速度制限区間があるそうです。100km/hが制限速度と速度無制限区間における推奨巡航速度は130km/hだそうですが、しかしドイツ車は猛スピードでバスを追い抜き飛ばしていきます。 |
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ロマンティック街道のドナウ川はオーストリア・スロバキア等を通り、黒海に注ぐ、歌にある青きドナウは偶然空の色が映りほんとに青かった。しかし実際は汚いそうで歌にある青きドナウ川ではないと。 |
さすが環境先進国、道路沿いには風力発電設備や太陽光発電施設が見れれました |
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ロマンチック街道の道路標識・何故か日本語もありました。 |
ドイツのアウトバーンは100km/hが制限速度の区間と推奨巡航速度は130km/hの速度無制限区間があります。しかしドイツ車は猛スピードでバスを追い抜き飛ばしていきます。 |
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ロマンチック街道沿いのシュタインガーデンの平原に立つ世界遺産のヴィース教会は牧場の中に立ち、「牧場の奇跡」ともいわれる教会。外見は簡素ですが、内部は壮麗なロココ様式で世界遺産です。見事な装飾で圧倒されました。
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9月29日(4日目) フュッセン・ユーロパーク インターナヨナル ホテルAM8:30発
ホーエンシュバンガウへ ~ノイシュバンシュタイン城観光~ 国境越えスイス/インタラーケンへ
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バイエルン王ルードウィッヒ2世は何故結婚しなかったか。
毎年世界中から多くの人が、王の追い求めたロマンチックな城を見に ドイツにやってきます。 なぜ王は結婚しなかったのか? 公式には、王には婚約者ゾフィがいたが、ゾフィよりもその姉の
エリザベトが好きだったそうです。エリザベトはしかし、オーストリアのフランツ・ ヨーゼフ皇帝と結婚しているからかなわぬ夢でした。 しかし、一般には
王は女性よりも男性が好きだったからとも言われています。 ルートヴィッヒ2世とオーストリア皇后エリザベトは親戚で、どちらも夢みるロマン チストであったから生前たがいのよき理解者であったようです。しかし、エリザベト
より8歳年下のルートヴィッヒ2世は、彼女が結婚したとき8歳ということになる。 エリザベトが忘れられず結婚しなかったようです。 バイエルン王国の財政危機になっても、王は城作りをやめようとしなかった。
ついに国民は立ち上がり ミュンヘン大学精神科教授グッデンら4人の医師が 「王様は不治の病で、政治の仕事はできない」という精神鑑定書に署名した。
そして、王はシュタルンベルク湖畔の離宮へ移され幽閉の身になった。 そして王とグッデンの二人は水死体となって発見されたそうです。 |
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ホーエンシュヴァンガウでの ノイシュバンシュタイン城観光を終え、昼食休憩後、いよいよドイツから国境越えのスイスの湖の街、天気が良ければアイガー北壁が見える街・インターラーケンへ。今回の旅行での最大の移動距離・バスで360km・6時間になります。寝不足気味のバスの中ではスイスでの天気を祈りながら仮眠を取りスイスへ向かいました。 |
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