よければ再生ボタンを押して音楽を聞きながらご覧ください!     (無可奈荷:悠久への扉) 
 
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2010年(平成22年) 今回のツアーで最後の訪問地トルコには当初、ギリシャのテッサロニコから寝台特急列車でトルコのイスタンプールへ入国の予定でしたが、3週間まえから土砂くづれで鉄道が不通になり、当日まで復旧せずやむなく夜行バス移動となりました。出国・入国審査はバスを降りることもなくスムーズでしたが、バスでは1人座席を交代で休んだものの足を伸ばして休めなかったので、睡眠不足のままトルコへ入国となりました。予定よりも早く到着したのでレストランで休憩して市内観光へでかけました。いよいよトルコ2,800kmのバス旅行が始まりました。
トルコでの案内は、ファイキさんという、元気で面白く、日本語のうまいガイドさんです。
【ツアー会社】 阪急交通社 【参加人員】 39名
7日目 6月9日 08:45 【世界遺産】メテオラ観光(修道院〈入場観光・約3時間〉)。観光後;バスにてテッサロ二キへ(240km、約3時間30分)。19:38;テッサロニキ着後、駅レストランで夕食後、夜行バスにてイスタンブールへ。(511km)
【宿泊地:バス泊】 
8日目 6月10日 08:00 イスタンブール市内観光(約4時間)。(ブルーモスク〈入場観光〉、トゥネル乗車体験〈乗車観光〉、アヤソフィア〈下車観光〉、イスティクラル通り散策〈下車観光〉)。13:00;観光後、アンカラへ(450km、約6時間)。
【宿泊地:アンカラ泊】エセンボア エアポート
9日目 6月11日 08:30 アンカラ市内観光 アタテュルク廟〈下車観光〉、アンカラ城〈車窓観光〉)。トゥズ湖〈下車観光〉を経由してカッパドキアへ(310km、約4時間)。13:30;【世界遺産】カッパドキア観光(約2時間)(カイマクル地下都市〈入場観光〉、スリーシスターズ〈下車観光〉)。途中、トルコ絨毯のお店にてショッピング(約1時間30分)。
17:30;洞窟ホテル着。【OP】民族舞踊とベリーダンスショー〈別料金〉
【宿泊地:カッパドキア泊】ウチヒサールカヤ
10日目 6月12日 午前 自由行動 OPギョレメ野外博物館、ゼルベ野外博物館
12:20 カッパドキア観光(パジャバー、デブレント、ウチヒサール)観光後、コンヤへ。 (230km 3時間)
【宿泊地:コンヤ泊】 リクソス ホテル
11日目 6月13日 08:30 コンヤ市内観光(約1時間)(メブラーナ博物館〈入場観光〉、インジェ・ミナーレ神学校〈下車観光〉)。観光後、パムッカレへ(410km、約6時間)。17:00;ホテル着。
【宿泊地:パムッカレ泊】コロセッア サーマル ホテルイ(温泉付きホテル)
12日目 6月14日 07:30 【世界遺産】パムッカレ観光(約1時間)(ヒエラポリス遺跡〈入場観光〉、石灰棚〈下車観光〉)。観光後、エフェソスへ(185km、約3時間)。12:00;エフェソス観光(約1時間30分)(エフェソス遺跡〈入場観光〉、アルテミス神殿〈下車観光〉)。観光後、エドレミットへ (250kn、約4時間)。20:00;ホテル着
【宿泊地:エドレミット泊】サルハンホテル
13日目 6月15日 7:30 、【世界遺産】トロイの古代遺跡観光(約1時間)。150km 2時間30分
観光後、イスタンブールへ(345km、約7時間)。21:00;ホテル着。
【宿泊地:イスタンブール泊】タイタニックポートホテル
14日目 6月16日 午前 【OP】ボスポラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光〈別料金〉。
13:00;トプカプ宮殿〈入場観光・ハレム除く〉,(グランドバザール〈下車観光〉、エジプシャンバザール〈下車観光〉)。夜;イスタンブール発。空路、カイロにて乗り継ぎ、20:00;カイロ発。空路、エジプト航空直行便にて関西空港へ
【宿泊地:機中泊】
15日目 6月17日 17:30関西着後、20:40 全日空で福岡空港へ  21:50到着後解散。
トルコ共和国

○日本人はビザ不要
○日本から直行便で約12時間半です  時差 日本マイナス7時間
○【通貨単位】トルコ・リラ  1リラ=100クルシュ
○チップの習慣があります。レストランでは、料金の約10%程度、ホテルのポーターには、荷物を部屋に届けてくれた際に、荷物1つにつき1USドル程度を渡します
○水道水は沸かして飲むか、ミネラルウォーターを利用するのが無難です。
○電圧は220ボルト、50ヘルツです。コンセントプラグの形は丸ピン2本のCタイプです
  デジカメの電池がなくなり、困っている人がいましたが 充電器、200Vから100Vの変換器、C型プラグが必要
○(気候)国土の広いトルコでは、地域によって気候が異なり、地中海沿岸は冬も温暖ですが、東部の山岳地域では冬は厳しい寒さになります
首都:アンカラ 人口:約7,041万人 人種・民族:トルコ人、クルド人、アルメニア人、その他 宗教:イスラム教、その他

トルコは、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国で首都はアナトリア中央部のアンカラ。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシアと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接しています。国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の約99%がイスラム教を信仰するため、日本の地域区分では中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属しています。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、NATOに加盟しており、現在欧州連合 (EU) へ加盟申請中だそうです。
  8日目(6月10日) イスタンプール市内観光〜アンカラ(泊)     
                                                            【宿泊地:アンカラ泊】エセンボア エアポート
トルコの首都はアンカラですが、イスタンプールは首都と間違うほど活気のある代表的な都市で人口850万人だそうです。
ボスポラス海峡を境に、アジア大陸とヨーロッパ大陸に別れており、シルクロードでは、東西文明の十字路として位置付いています。
紀元前7世紀頃、東ローマ帝国の都となったのが330年、以後ビザンチン帝国時代を含めて1000年の歴史を続け、その後オスマン・トルコの攻略によって1453年イスタンブール(「永遠の都」の意味とのこと)と改名されたそうです。
1985年に世界文化遺産に登録され、トプカプ宮殿やアヤソフィヤ、スルタン・ブルー・モスク、地下宮殿のある旧市街の遺跡公園地区のほかに3ヶ所が指定されています。
ブルーモスク

入り口で靴を脱いで袋に入れて持ち歩き、入るとそこはモスクの世界でした。床には絨毯が敷き詰められており、模様の方向がメッカの方向を向いるとのこと。。さすがにブルーモスクと言うだけあって、タイルが非常に美しい。採光のために設置された260の窓は全てステンドグラスとなっていました。。ブルーモスクを出るに当たって、お布施は必要ないとの現地ガイドの説明でしたので無視して出ました。
その名の通り、青い色でまとめられたモスク。(モスクとは、イスラム教の宗教施設)。

ブルーモスクの入口近くの子猫 ブルーモスク側から見たアヤソフィア


旧市街にある水道橋 ガラタ橋 旧市街と新市街を結ぶ橋で金角湾に架かっていました。


新市街
1駅3分のトウネル(TUNEL)乗車体験
新市街のショッピング街 イスティクラル通り
新市街にある広場で、中央にはケマル・アタチュルクの功績を称えた共和制記念塔が立っていました。
ショッピング街のイスティクラル通りを走るレトロなトラム(路面電車)の発着場所になっていました。
ガラタ橋近くの新市街から見た旧市街の町並
  9日目(6月11日) ホテル出発7:30 
                アンカラ市内観光〜カッパドキア観光
       【宿泊地:カッパドキア泊】ウチヒサールカヤ
アンカラ市内観光
トルコ共和国の首都となるアンカラはイスタンブールに次いでトルコ2番目の320万人が住む都会だそうで今回はアタチュルク廟の外観撮影意外はバス内見学でした。
アンカラ城 アタチュルクは1923年トルコ共和国誕生の際にここアンカラを首都と定め、トルコの近代化に生涯をささげ、「トルコの父」として国民から今でも愛されているとのことです。
アタチュルク廟
この廟は、アンカラで一番高いところにあり、アンカラ市街が一望できるところにあり、廟の中には「アタチュルクの墓」があり、周りは博物館となっているそうです。

トウズ湖
トウズ湖はパムッカレとアンカラの中間にあるトルコで2番目の大きさの湖で、大きさは琵琶湖の2倍だそうです。夏場は殆んど雨が降らず気温も結構高くなるためにこうして巨大な「塩湖」になったようで、ここで取れる塩はトルコで生産する塩の40%近くを占めているそうです。

カッパドキア観光
カッパドキアは首都アンカラを中心とする中央アナトリアの地方名称で東西南北50kmにわたる景勝地をさしています。
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」として1985年に世界文化遺産に登録
紀元前8000年頃に人が住み始めたのが始まりで、ペルシャ人、ローマ人、ゴート族等の侵略の歴史のあとに美斬新帝国の属領となったのが4世紀ごろ、この頃にキリスト教徒たちが岩山に穴を掘って住み始めたとされています。この地域の地層は、凝灰岩と溶岩層からなっており、長い年月の間に浸食され、このような不思議な形の岩々ができあがったようです。
昼食会場の洞窟レストラン
絨毯の店の見学・買い物


カイマルク地下都市
カイマクルの地下都市
キリスト教徒が迫害から逃れるために造ったといわれる地下都市は、地下8階で1万5千人が生活していたそうです。この地下都市は住居、台所、食料庫や教会跡がありました。


スリーシスターズ
この地方の2つの大きな山が何度も噴火し、石灰岩を多く含んだ溶岩を噴出して、それが風化により、この様な岩ができたそうです。
トルコでは、この様な岩を妖精の煙突と言っているそうです。後ろに見える雪山はハサン3,200mです。


宿泊ホテル:ウチヒサール・カヤからの風景
鳩の谷にある宿泊のホテルの展望は抜群で、ウチヒサールの夜景、朝日の風景を撮影しました。絵になる所でした。
カッパドキアはワインの産地として知られていますが、土地がやせているため鳩を飼い、その糞を集めて肥料にしていて、無数の小さな穴がありここに鳩が住んでいるそうです。
ホテルのレストランから撮影 午後8:00
ホテルの部屋から撮影 午後10:00
ホテルのレストランから撮影 AM12:00
ホテルの部屋から撮影 午前6:00
6時頃になると無数の見学用気球が上がりましたが、逆光のためいい写真が取れなくて残念でした。
レストランからのウチヒサールの要塞 部屋からのホテル全景

 10日目(6月12日) ホテル出発8:30 カッパドキア観光〜古都コンヤ
                                                                      【宿泊地:コンヤ泊】リクソス ホテル
ギョレメ野外博物館
この地方は4世紀頃から多くのギリシャ人たちが生活していたが、その中心がこのギョレメでイスラム教徒からの迫害を逃れるため10世紀頃には400以上の教会がこの洞穴にあったとされており、現在はこの地域を野外博物館としてその内部を公開しています。


セルベ野外博物館
奇岩のキノコ岩が連なる地域。古くからキリスト教の修道士が住み、教会跡も見られました。


トルコ石の店でのショッピング 洞窟レストランでのマス料理


カッパドキア観光2
奇怪な岩峰が連なる大平原カッパドキア。キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中に残された膨大なキリスト教壁画、地下何十メートルにも掘り下げられた地下都市、さまざまな顔をもつこの地はトルコ観光の中心だと思います。カメラマンには魅了の地でした。


デヴレント
このテヴレント地区ではラクダの岩、聖母マリヤ、キッスしている2人、ナポレオンの帽子等が有名だそうです。
有名なラクダ岩
聖母マリアが祈っている


パシャパーのきのこの岩
パシャパーのきのこの岩
カッパドキア地方観光で一番のハイライトとなるのが、このきのこの岩です。その形は煙突にも似ており、中に妖精が住んでいると言い伝えられることから「妖精の煙突」ともいわれています。上と下の岩の成分が違うことから数万年をかけてこのような形になったようです。
有名な3本キノコと観光用ラクダ
パシャバー地区 キノコ岩が並ぶ人と比較すると、大きさがわかる


ギョレメ
アイスクリーム岩:周囲を奇岩に取り囲まれたギョレメの街  右はウチヒサールの街並み 


ウチヒサール
ホテルからも見えるこのウチヒサールとはトルコ語で「3つの要塞」との意味で、この岩山はその形から「城砦」と呼ばれているそうです。


古都コンヤのリクソスホテルでは、この旅行中2組目の新郎・新婦に出会いましたので早速撮影させてもらいました。


11日目( 6月13日)
ホテル出発8:15 コンヤ市内観光観光〜古都コンヤ〜パムッカレ(石灰棚)観光 

                【宿泊地:パムッカレ泊】コロセッア サーマル ホテルイ(温泉付きホテル) 
コンヤ市内観光
コンヤは、11〜13世紀セルジューク・トルコの首都が置かれていた町でイスラム教神秘主義の一派メヴラーナ教団の発祥地として広く知られている都市です。メヴラーナ博物館、インジェ・ミナーレ神学校を観光しました。
インジェ・ミナーレ神学校
セルジュク朝様式で造られたこの神学校は、1267年にイスラム神学校として建てられたもので、名前の由来は、インジェ(細長い)ミナーレ(尖塔)があったことからついたそうです。1901年に落雷があり尖塔の上部が崩壊し、現在の高さになり、現在は、彫刻博物館として利用されているとのことです。外観だけの見学となりました。

メヴラーナ博物館
13世紀に生まれた神秘主義教団であるメヴラーナ教団の総本山であったところで、教団そのものは1927年にアタチュルク政権により解散されたが、独特な旋回舞踊(くるくる回るメブラーナの踊り)は世界的に有名で、現在は博物館となっています。
メヴラーナとは「我が師」との意味であり、下の写真のように青いタイルのとんがり屋根が特徴的で、コンヤのシンボルになっているとのことです。内部には教団の発展に寄与した名僧たちの霊廟、資料室等がありましたが撮影禁止で残念でした。
メブラーナの踊り 青いタイルのとんがり屋根
メヴラーナ博物館の裏庭でツアー参加者の集合写真  


パムッカレ近くのレストラン   トルコの一休さん  と美味しかったさくらんぼ(お腹を気にしながらもよく食べました)



パムッカレ観光(石灰棚)
ヒエラポリス遺跡とパムッカレ観光(「ヒエラポリス・パムッカレ」として1988年世界文化遺産の複合遺産として登録されています。)
ヒエラポリス遺跡
ヒエラポリスはパムッカレの石灰棚に隣接している古代都市で、紀元前190年頃にベルガモン王エウメネス2世が築いたもので、地名の由来はギリシャ語の「神聖」との説や伝説上の開祖テレフォスの妻ヒエラに由来するとも言われています。温泉保養地として、この地域で最大とも言われたこの街は14世紀の大震災で壊滅的な打撃を受けそのままとなったようです。
ヒエラポリスの城壁
ヒエラポリスの15,000人収容の円形劇場 ローマ浴場と博物館



温泉の石灰棚
自由時間に撮影ポイントを探しながらの撮影となりました。水が少なく、石灰棚の3割しか水がなく、エメラルド色の棚を探すのに苦労しました。
4年前に中国の黄龍に行き、同じような石灰棚を撮影しましたが、規模的には黄龍の2割ほどでした。


トルコ  パムッカレ観光 石灰棚の動画
中央の三角をクリック    2010年6月12日撮影


途中、皮製品工場(洋服)に立寄り、ファッションショーにツアー参加者も参加


12日目(6月14日) (ホテル出発19:25) エフエンス観光〜アイワルク 
                                                                                      
【宿泊地:エドレミット泊】サルハンホテル 


アルテミス神殿の柱
世界の七不思議の一つにあげられたこの神殿は、7回建設され、7回破壊されたという歴史を持ち、紀元前356年に放火され炎上したそうです。当時大理石でできたこの柱が127本あるパルテノン神殿より大きい建物だったそうですが、現在はこの1本がしか復元されていないそうです。撮影した写真の柱の上に止まっているのはコウノトリ(シュバシコウ)です。
写真左手前のドームは「イーサ・ベイ・ジャミイ」と呼ばれる14世紀に建てられたモスク、左後方はセルチュクの城塞です。後方中央の柱は聖ヨハネ教会の修復された柱です。
コウノトリ夫婦が2匹の子供を子育て中でした。


エフェソス観光
エフエソス遺跡
エフェソス(エフェス)都市遺跡
エフェソス(「エフェス」とも呼ばれています。)は紀元前10世紀頃から栄えていた古代ギリシャ人の都市で、紀元前2世紀にローマ帝国の属領となり繁栄していたとのことで、地中海東部では保存状態の良いローマ遺跡として多くの観光客が訪れるそうですが、まだ世界遺産に登録されていないそうです。今回もギリシャも含めて多数の遺跡を見学しましたが、ここが世界遺産されていないのは理解できません。規模といい、遺跡の状態といい、最高の遺跡で感激しました。
公衆浴場、小劇場公衆浴場、国営アゴラ(集会場)
                                                              ヴァリウスハマムの浴場
小劇場(オデオン)  奏楽堂、元老院の会議用 プリタネイオン(聖火を守る所)
ヘルメス3世紀 メルミウスの碑文 紀元前1世紀
プリタネイオンから始まるクレテス通りはケルスス図書館まで続いています。今日は運よく見学者が少なかったようで普段は見学者で大変な混雑だそうです。
ヘラクレスの門(ライオンの頭を掴んでいる) スコラテイスキアの銅像
給水場 ハドリアヌヌ神殿
都市の公衆トイレ セルスス図書館
セルスス図書館とマゼウスーミトリダテス門(アゴラの南門)
マーブル通り 大理石に彫られた女性の銅像と足、娼婦館の入口を指しているそうです。
大劇場に立ち、音響が素晴らしいので、全員でさくらを合唱、見物の外人より、拍手喝采。
2万4千人を収容する大劇場
港通り(アルカデイアン通り) この先に港がありました。クレオパトラが歩いた通りだそうでその気になって歩きました。

エフェソス遺跡(クレテス通り)の動画
中央の三角をクリック    2010年6月14日撮影


エフェソス遺跡(大劇場)の動画
中央の三角をクリック    2010年6月14日撮影


13日目(6月15日) 
         (ホテル出発7:30)アイワルク)〜トロイ〜ダーダネルス海峡〜イスタンプール

                                                                      【宿泊地:イスタンブール泊】タイタニックポートホテル


トロイの遺跡
この遺跡は紀元前3000年前の青銅器文明の頃から9回造り直され、アキレスやヘクトル、オデッセウスといったトロイ戦争の英雄達が登場する場所です。6世紀初頭に発生した地震によって長い間地中に埋もれていたのを、ドイツのシュリーマンが1870年から自費を投じて発掘をしましたが、シュリーマンは考古学に対する知識が乏しかったため、かなり遺跡を壊したとのことです。発掘は現在も進められていまですが、初期に発掘された当時の遺品等はシュリーマンがドイツに持ち帰りベルリン博物館に収蔵したそうですが、第2次世界大戦後にソビェト(現在のロシア)がこれを没収、現在はモスクワの美術館にあるそうです。世界遺産に登録済。
伝説のトロイの木馬 中は2階建てで100人位は入れそうです。


再生ボタンをクリックして音楽(庄野真代 飛んでイスタンブール)を聞きながらご覧ください!




フェリーでダーダネルス海峡をアジア大陸のラプセキ町からヨーロッパ大陸のゲリボルの港町へ渡りました。  
ラプセキからフリーで30分、ゲリボルの港町へ渡り、昼食
港町の子供


14日目(6月16日) ホテル出発9:00 イスタンプール市内観光〜午後 空路:関空     
いよいよ今日でトルコ最後の観光となりました。トルコのイメージが変わってきました。都会も田舎も非常に綺麗で地上に電柱がなく、家も形や色が統一され非常に綺麗な町づくりが国の施策で行われているのには感心しました。歴史のある観光地や史跡も多く、、食べ物も日本人の好きなものも多く、フアンになりそうです。
イスタンプール観光


リュステムパシャモスク




ボスポラス海峡クルーズ
ボスポラス海峡クルーズ(東洋と西洋にまたがる海峡)
エミノニュ駅そばの船着場から第2ボスポラス大橋の下まで行って戻ってくる約2時間の海峡クルーズで陸から見るイスタンブールの景色とは違う風景が続き、天気もよく最後のイスタンプール観光には最高のクルージングでした。
イスタンプールの旧市街
ドルマバフチェ宮殿
オルタキョイ・ジャーミー
イスタンプールの新市街
イスタンプールの新市街
コンスタンテイノーブル陥落の一手を担った城壁 後ろの橋は第2ボスポラス大橋(石川島播磨製作)


トルコ・イスタンプール ボスポラス海峡クルーズの動画
中央の三角をクリック    2010年6月16日撮影



エジプシャンバザール


トプカプ宮殿
メフメット2世により1467年に建てられた宮殿で、トプカプとは「大砲の門」という意味をもち、かつて岬の砦に大砲が置かれていたことからこの名がついたそうです。ボスポラス海峡と金角湾、マルマラ海を一望できる旧市街の高台にあり、周囲を城壁で囲って城塞としての機能も持っていました。
この宮殿は、1856年にドルマバフチェ宮殿が完成するまで公式宮殿として利用され、1924年からは博物館として公開されています。歴代のスルタンが集めた世界の秘宝(
黄金の短剣:3つの大きなエメラルドをはめこんでいた)、86カラットダイアモンドは感激でした。当時の権力の大きさがうかがえました。
表敬の門
16世紀に増築されたというヨーロッパの城を思わせる塔があるこの門を通るときには、スルタンだけが馬に乗ったまま通れて、それ以外のものは全て歩いて入ったとのこと。
見学の子供たち 何故か野生のオウム:幸せの青い鳥かも


グランドバザール
巨大なマーケットとして知られるこのグランド・バザールは15世紀の半ばに造られ、当初は小さな市場だったものが増築され、現在のような規模となったのが19世紀の終わりごろとか。中には迷路のように道があり、4000とも5000ともいわれるお店が軒を連ね、日本語で客引きする店員が結構いました。特に大通りから横道に入ると客が少ないのですぐ日本語を話しながら寄ってきますので要注意です。買い物はエジプシャンバザールの方がしやすかったと思います。

グランドバザールでの買い物をすまし、 トルコでは2,800kmのバス旅行で事故もなく安全運転のシュネーク運転手に感謝の拍手をして、イスタンプール空港へ 、20:00発のカイロ経由で関西空港へ帰国。
今回のトルコ7日間の観光でトルコのイメージが変わりました。町並が非常に綺麗で、都会も田舎も、統一された住居、街路樹、色、電柱のない風景が、とてもヨーロッパ風で綺麗でした。食べ物も美味しく、日本人好みの食事が多かったと思います。観光地もカッパドキア、パムッカレの石灰、エフェソス遺跡等多くあり、又、親日家も多く、旅行しやすく、お勧めの国の一つです。
帰りの飛行機:中国の天山山脈の雪山がとても綺麗でした。

15日目(6月17日) 関西国際空港〜伊丹空港〜福岡空港
関空発20:40発で福岡空港へ、着後、解散となりました。ほんとに15日間お疲れ様でした。
今回の旅行で大変お世話になった方々
阪急交通社 添乗員
又須美穂さんさん
エジプト 現地ガイド
デイビットさん
ギリシャ 現地ガイド
国武さん
トルコ 現地ガイド
フェアイキさん
旅行中は大変お世話になりました。39名もの参加者をよく面倒見ていて安心もし、感心もしました。
私自身は天候に恵まれ、体調もよく、沢山の写真撮影ができてとても満足した旅行でした。
日本語のうまい、元気なエジプトのお兄さんでした。2日間のお付き合いでしたが、充分にエジプトを堪能できました。 ギリシャでは2日間のガイドでしたが、国武さんの独特な話し方がまだ耳に残っています。あの語尾が上がるいいましは忘れられません。 長かったトルコのバス旅行では大変お世話様でした。日本が好きで持ち前の明るさと抱負な知識で楽しい旅行ができました。
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