若草写真館へ エジプト旅行記 ギリシャ旅行記 トルコ旅行記
 
2010年(平成22年)、エジプト観光では、色んなピラミットも見たし、ツタンカーメンの黄金のマスクにもかぶりつきができて大変満足の2日間でした。言い換えればこの35℃の暑さでは2日間で充分でした。今日からはギリシャ旅行がはじまり、期待のエーゲ海クルーズも天気になりそうで期待大です。それはそうとここにきてお腹の具合が悪い人が出てきました。あのナイル川の魚が目に浮かびましたが、今後も慎重に行動し、薬も早めに飲みます。家内も少し、お腹の調子がよくないようですが今の所元気です。
【ツアー名】 エジプト・ギリシャ・トルコ 3ヶ国大周遊 15日間 【ツアー会社】 阪急交通社 【参加人員】
4日目 6月6日 11:30 カイロ発。空路、アテネへ。
13:30 着後、アテネ市内観光(約3時間)(【世界遺産】アクロポリスの丘〈入場観光〉、パナシナイコオリンピックスタジアム〈下車観光〉)。途中、民芸品のお店にてショッピング(約60分)。
19:00 ホテルへ。21:00;その後、ホテルへ。【OP】タベルナディナーショー
【宿泊地:アテネ泊】2ファッションハウス
5日目 6月7日 7:15 港へ エーゲ海一日クルーズ(エギナ島、ポロス島、イドラ島の島々を巡る6時間)。
21:15 ホテル着。
【宿泊地:アテネ泊】2ファッションハウス
6日目 6月8日 7:30 世界遺産オシオスルカス修道院観光(40分)。その後、世界遺産デルフィ観光(1時間)。デルフィ遺跡(2時間) 観光後、メテオラの麓カランバカへ。  250km 4時間30分   
【宿泊地:カランバカ泊】 アマリア
7日目 6月9日 08:45 【世界遺産】メテオラ観光(修道院〈入場観光・約3時間〉)。観光後;バスにてテッサロ二キへ(240km、約3時間30分)。テッサロニキ着後、深夜バスでイスタンブールへ(鉄道土砂崩れが復旧しないため寝台特急から変更)。
【宿泊地:バス泊】 

日本人はビザ不要(2003年5月27日現在)日本より7時間遅れ。ただし3月最終日曜日から10月最終日曜日前の土曜日まではサマータイムとなり6時間遅れです 
ギリシャの出入国の際に出入国カードの提出は不要ですが、シェンゲン協定国圏外から到着の場合は、パスポートおよび手荷物の検査が行われます。

神話の国、ギリシア。この地で生まれた文化が世界中に及ぼした影響は計り知れないほど大きく、英語やフランス語など多くの国々で用いられているアルファベットや単語の多くは、古代ギリシア語から発生しています。西洋哲学や歴史学などの学問、演劇、彫刻といった文化、そして民主主義の礎を築き上げたのもギリシャです。
今回楽しみにしていたエーゲ海のクルーズは非常に人気で美しい島々の透きとおったブルーの海は目に焼きついて、いい写真が撮影できました。
マスコミ報道されていた財政破綻によるデモなどの騒動の影響は、3日間では何も感じられませんでした。ギリシアの人々の明るさ、陽気さが目につき、天気にも恵まれ、快適な観光ができました。
正式国名 ギリシア共和国 Hellenic Republic(Greece)
面積 13万1957km2(日本の約3分の1強。北海道と九州を足したぐらい)。アテネのあるアッティカ地方、イオニア海に浮かぶ島々とそこに面した中西部、テッサロニキを中心としたマケドニア・トラキア地方、ペロポネソス半島と、国土の約20%を占めるエーゲ海の島々からなっている。一番大きい島はクレタ島で、8336km2(兵庫県とほぼ同じ)。
人口 総人口は約1070万人(2008年)。人口の3分の1弱、319万人あまりがアテネの首都圏に集中している。そのほかのおもな都市の人口は、テッサロニキ100万人、パトラ21万人、イラクリオン15万人、ヴォロス15万人。
首都 アテネ Athens
元首 カロロス・パプーリアス大統領
Karolos Papoulias
政体 大統領制議会主義共和制。国連、NATO、EUの加盟国。
民族構成 ギリシア人97%、トルコ人1%、そのほか2%
時差:-7時間  通貨:ユーロ

入国とビザ

ギリシアの入国審査は、入国カードの記入がないので、パスポートのみ提示。【パスポート】入国時に、滞在日数に加えて90日以上の残存有効期間が必要。
 4日目(6月6日) ホテル出発7:45 空路:カイロ〜アテネ  着後アテネ市内観光    
                                              
 (宿泊 2ファッションハウス) 
午後にアテネ空港に到着して、早速 現地ガイドの国武さんの案内で市内観光に出かけ、夜はOPツアーのタベルナディナーショーに参加しました。
アクロポリスの丘
アクロポリスは、1987年にユネスコの世界文化遺産に登録され、アテネ市街を見下ろす高台にありました。
このアクロポリスは、紀元前12世紀に最初の神殿が建てられ、一時期は要塞としても利用されていたようですが、紀元前480年にペルシャ人によって完全破壊され、紀元前447年からパルテノン神殿を初めとする建物の再建が行われて、アテネの黄金時代の中心的な地位を確立しましたが、ローマ、オスマン・トルコ、あるいはヴェネツィア軍との戦いで破壊が行われ荒れ果てたまま放置されていたそうです。
市内のオリンピック競技場から見た夕日で赤く染まった高台にあるアクロポリスです。夜はライトアップされます。

現地ガイドの国武さんから独特の語尾が上がる話し方で歴史を勉強
パルテノン神殿
ドリス様式で作られたこのパルテノン神殿は、アテネの守護神アテナを祭ったもので、紀元前447年に復元を着工し、紀元前432年に完成したといわれています。
建物の大きさは幅31m、奥行き70メートルあり、建物の柱はドーナツ状にくり貫いた大理石の中心に糸杉の木を入れて繋ぎ合わせて造られているので、よく見ると継ぎ目が見えますし、建物がずれているのが判りました。
エレクティオン神殿
アクロポリスの神殿の中で最も神聖な場所とされ、多くの神々の住む家であり、伝説上の王達のお墓でもあったとのこと。複数の神々を祭っているのでこのように複雑な構造となっているようです。神殿の手前にある大理石は、現在のパルテノン神殿より以前に建てられたアテナ古神殿の礎石です。
ヘロド・アティクス音楽堂
大富豪のヘロド・アティクスが建てたこの音楽堂は西暦161年に建てられたもので、観客席は1951年に修復され、現在では毎年開催されるアテネ・フェスティバルの会場として使用されており、俳優平幹二郎もここで古典劇を演じたことがあるそうです。
アテネ市街   アクロポリスの展望台に立つとアテネ市街が360度見渡せました。遠くにはリカヴィトスの丘が見えます。 

ギリシャ・アテネ  アクロポリスの丘の動画
中央の三角をクリック    2010年6月6日撮影


オリンピック競技場
1896年クーベルタン男爵の提唱によりに近代オリンピックの第1回大会が開催された競技場で、収容人員は5万人、観客席は白い大理石で作られています。
市内の土産物店で買い物、奥様方の購買力はまだまだ健在です。


無名戦士の墓はトルコからの独立戦争やその他の戦争で犠牲となった兵士たちの霊を慰めるために造られた。碑の両脇には、エヴゾナスという民族衣装を着た衛兵がひとりずつ立っていました。通常は微動だにせず直立不動だが、30分毎に左右の持ち場を交代する時の儀式はユニークです。衛兵は185センチ以上あり、凛々しい。時を見てすばやく順番に横に立ち衛兵と一緒に撮影をしました。


宿泊ホテル:2ファッションハウスと広場


タベルナデイナーショー
夜7時にバスで現地ガイドに国武さんの案内でオアテネ旧市街のプラカ地区を散策してからタベルナにてフォークロアダンスショーを鑑賞しました。


 5日目(6月7日) ホテル出発7:15 エーゲ海 1日クルーズ(宿泊 2ファッションハウス)  
エーゲ海日クルーズ
紺碧の海と青い空に囲まれたエーゲ海の島々には1日クルーズ船で訪れました。、今回のツアーでは、サロニコス湾にあるイドラ島、ボロス島、エギナ島を訪れ、晴天に恵まれて最高のクルージンとなり、写真の題材となる観光地も多く、充実した1日となりました。
船は想像よりもずっと大きくて快適でした。、基本的には自由席。日本人スタッフもいて、船内の免税店までも日本語OKという状態でした乗る時に「乗船カード」を渡されます。これは一旦船を降りた後、再乗船するのに必要なカードです。じゃまにならない大きさ(テレカ位)ですので、下船する時には必ず携行が必要です。


ポロス島
アテネのピレウス港を出てから約2時間でポロス島に着きました。ボロス島は大小2つの島からなっておりますが、滞在時間は1時間くらいしかなくてゆっくり島内を散策することはできないので、ガイドさんの指示で時計台を目指し、急な細い階段を登って撮影をしました。
時計台のある丘からの眺め。まるで絵はがきのような風景が広がっていました。
時計台から少し下ると教会があり、その横も絶景ポイントでした。



イドラ島
ボロス島から約1時間でイドラ島へ。ここは自動車、バイクの乗り入れが禁止されており、交通手段はロバタクシー。船が港に着くとロバを連れたおじさんたちがどっと寄ってきて観光客を乗せたり、荷物を積んだりしていました。
この島は映画の撮影が何回か行われており、ソフィアローレンとアランラッドの映画「イルカに乗った少年」のロケ地になった所で多くの芸術家が夏の間住むと 言う事で芸術の島とも呼ばれているそうです。
島の中を散策すると白い壁に鮮やかな紺や青の塗装がされた扉や窓の家があちこちにあり、裏のほうへ回るとちょっと変わった風車小屋もあるようです。
撮影場所は高台にある教会を目指して階段を登り、細い路地が続いて何回か迷いましたが、平野ご夫妻と4人で到着しました。しばし素晴らしい風景に感動し、撮影をしました。


ギリシャ・エーゲ海クルージング イドラ島の港
2010年 6月7日 撮影


エギナ島
イドラ島を出て最後の島エギナ島へ。エギナ島は、クルーズ会社が催行しているOPツアーがあり、ピスタチオの畑が見たいので申し込みました。この島はピスタチオの生産地として有名で、ツワーの途中でクルーズの洋子さんから産直の店でできたてを購入しました。
エギナ島 アフェア神殿
エギナ島 ネクタリオス修道院
ピスタチオの実 畑にはピスタチオの木が沢山植えられていました。 港の果物屋


エギナ島の見学を終えて、アテネに戻る間、船の中でミニ演奏会があり、ギリシャ音楽や踊りで楽しみました。
右側の女性は洋子さん(久留米出身とか)といい、現地人と結婚し20数年住んでいる人でこのクルーズのボス的存在の方です。演奏会の司会、OPツアーのバスガイド、土産物屋ではピスタチオを販売とまあよく働き、元気な方でした。オパー!!オパー!!。
演奏会のメンバーが船尾のデッキで蛍の光を演奏していました。絵になります。


 6日目(6月8日) ホテル出発7:30  アテネ〜デルフイ〜カランバカ   (宿泊:アマリア ) 
エーゲ海のクルーズが終わり、今日からギリシャアテネを移動して有名なメテオラに向かいます。途中でルカス修道院、デルフイ遺跡を観光しました。
オシオス・ルカス修道院の丘
アテネの北西約100キロメートルにある修道院。東ローマ帝国最盛期の11世紀を代表する建造物だそうです。10世紀に没した修道士ルカスに献じられたもので1990年に「ダフニ修道院群、オシオスルカス修道院群及びヒオス島のネアモニ修道院群」として世界遺産(文化遺産)に登録されたそうです。


デルフイ遺跡
(1987年世界文化遺産登録)
デルフィは、東西に広がる小さな街で、古代ギリシャでは「大地のへそ」として世界の中心にあると考えられていたようです。街の起源は紀元前2000年ごろといわれ、紀元前6世紀頃には神託を受けるために訪れる巡礼者で全盛期を迎えたようです。
当時は音楽と文芸の神アポロンにちなんで音楽等を中心とした祭典が開催されていたようですが、4世紀後半に殆んどの建物が破壊されてから長い間地中に埋もれ、19世紀末に発掘されて漸く日の目を見るようになったようです。
大地のへそとして世界の中心にあると考えていたそうです シフノス人の宝庫
イオニア式のこの建物は、シフノス島の金鉱の収益資金により建てられたもので、遺跡の入り口を入ってすぐにあります。
アポロンの神殿
紀元前6世紀頃に最初の神殿が建てられ火災で焼失、その後再建されたものは地震で倒壊、現在残っている遺跡は紀元前4世紀後半に再建されたもので、6本の柱が復元されています。
写真の遠景には紀元前4世紀に建てられた体育訓練所の遺跡が見えました。
劇場
収容人員5,000人の劇場で紀元前4世紀頃に建てられたそうですが、現在のものは紀元前2世紀頃に再建されたものです。
アポロンの神殿全景


7日目(6月9日) 
      ホテル出発9:15
メデオラ〜テサロニキ〜夜行バスでイスタンプール (バス泊)
奇岩の頂に修道院
昨日夕刻に到着したカランバカのホテルからあの修道院がある岩山が見えました。今日はメテオラの世界遺産・2つの修道院を観光しました。
メテオラの巨岩群と修道院(1988年世界複合遺産(文化、自然)登録)
ギリシャ正教の修道士が最初に生活を始めたのが10世紀ごろといわれており、当初は個々に岩山にある洞窟や岩の裂け目を利用して修行したようですが、11世紀になると集団での修行になり、これが修道院の始まりと云われています。修道士達は略奪者を避けるためにこの峻険な岩山の上に建物を建てたようですが、どのようにして建てたのか興味がわきます。
最盛期にはここに20以上の修道院があり、現在は5つの修道院に住んでいるとの事です。
メガロ・メテオロン修道院
メテオラ最大の修道院で高さ616mの岩山の上にありました。「メテオロン」とは「中空の」意味を持っており、メテオラの地名の由来となっているそうです。対岸の115段もの階段を登っていくため、体力に自信がない人はゆっくり上らなければなりません。
修道院の中に入るには女性はスカートが必要といわれ、無料の貸出用のスカートを着用しての入場でした。
修道院の中には、修道士が使用していた農耕用の道具、衣装・武具等が展示されており、当時の修道士の生活が窺えます。
修道院内は撮影禁止でした。展望台からの眺めは最高でカランバカの町並も見えました。


ヴァルラーム修道院
14世紀にヴァルラームが修行の場所に選び、いくつかの小屋と小さな教会を建て、たった一人で住み続けて祈りを捧げて生涯を終えました。その後は放置されていましたが、1518年にメガロ・メテオロン修道院で修行していた、兄弟の修道士ネクタりオスとテオファニスにより、教会の再建をはじめて現在にいたるそうです。ヴァルラームは1人っきりで過ごしたが、2人の修道士に開かれた後は、修道士が増えてドームのある教会を建てたり、発展していったそうです。
運搬用リフト この修道院からも眺めは最高でした。

メテオラの世界遺産 
メガロ・メテオロン修道院の動画
撮影日  2010年6月9日


昼食のレストランからも巨岩と修道院が見えました。
巨岩と修道院 お土産屋でトイレ休憩


夜行バス(テサロニキ〜イスタンプール)
当初事前の予定ではギリシャ・テサロニキからトルコ・イスタンプール間は寝台特急での移動でしたが、3週間前からの鉄道の土砂崩れが復旧できず、残念ながらバス移動となりました。阪急さん値段が上がってもバス2台にして欲しかったなあ。

テサロニキ駅の改札口 まだ不通のようでした。 深夜バスからの夕日
バスの中で、旦那は床に寝て、奥さまは2人分の座席で寝ている夫婦もあり、当方も早朝床へ沈みました。
トルコ旅行記へ