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福岡県糸田町内各地区が最大9メートルの飾り山笠を担ぐ『担ぎ山笠』が最大の特徴で、毎年5月第2土・日曜日に行われ、町内外から3万人が訪れるそうです。糸田の祇園際は1706年から始り、開催日は毎年5月の第二土、日曜日に開催されます。
糸田祇園山笠は引くのではなく担ぐ山笠であり、勇壮な祭りでです。

今年も江戸時代から伝わる「糸田祇園山笠」(町無形民俗文化財)が10日、始まり、電飾やちょうちんで華やかに装飾された山笠が光の競演を繰り広げ、沿道の観衆をわかせました。糸田祇園山笠は京都祇園祭の流れをくみ、約300年の歴史を誇り、山笠は合戦の場面を再現した武者人形などで飾り立て、最大で9メートル、重さは2トン以上もあるそうです。太鼓や鉦(かね)の音が響きわたる中、法被姿の男衆が「エンヤーヤッサ、コーラーヤッサ」と独特の勇ましいかけ声をかけながら、山笠同士が勢いよく離合を繰り返す「競り合い」を披露し、町はお祭りムードに包まれました。
(問い合わせ先)  糸田町役場産業経済課 Tel:0947-26-4025 Fax:0947-26-1651 
(山笠のコース図)  糸田祇園山笠集合場所と駐車場  山笠集合場所・駐車場pdf

                                                                                                                                    (福永攻治)
 
1日目は麦畑前の道に8台の山笠が集合しました。
 糸田祇園は宝永3年(1706)行橋の祇園社より須佐神社を勧請して翌年から山笠を出したそうです。当初は今井の鉾山だったのが飯塚に近い事もあってか、いつの頃からか人形山笠へと変遷したようです。石炭不況で一時中断していましたが、昭和41年に復活したそうです。
 フェスティバルパーク(旧役場跡)に山笠が大集合!!
夕方、暗くなってくると、提灯が点り、一層祭りの雰囲気を盛り上げました。
疫病退散や五穀豊穣などを願う伝統行事で、江戸時代中期から伝わる福岡県糸田町の町無形民俗文化財「糸田祇園山笠」が10日始まり、高さ約6〜9メートルの山笠9基が勇壮で幻想的な競演を繰り広げました。 戦国時代の合戦をテーマにした武者人形などをあしらった重さ約2トンの山笠を担いだ男衆は、町内を練り歩いた後、町の中心部に集結。日没とともにちょうちんや電飾がともされ、太鼓やの音、男衆の「エンヤヤッサ、コラヤッサ」という掛け声が響き、勇壮な祭りが繰り広げられました。
 糸田町の中心(旧役場通り)のフェスティバルパークに、10基の山笠が集結
糸田祇園の3基の押し山笠
糸田は担ぎ山笠で掛け声は   「えんや〜やっさ〜!!!」
町指定文化財 第8号  糸田祇園山笠(無形民俗文化財)
糸田町の山笠の特徴は、引き山笠ではなく担ぐ山笠であるということで、当然車輪もついていません。この山笠を担ぐいで立ちは、いずれも鉢巻姿(現在は地区によって色が違う。)に三角形の肩すけ、丸首半袖シャツにお守り袋をかけパンツの上に胴巻きをしてその上に黒の帯を巻き、白足袋・草鞋姿です。
別に、5月14日にお潮採りの儀式があり、これは、山笠の台になる枠の四隅に竹を立て注連縄を張り、枠には幕を張ります。山笠の台とともに、泌川か中元寺川まで鐘・太鼓で担いでいき川の水をかけ、水で洗います。
山笠の飾り付けは祭り前日までに終了し、初日、夕方には町の中心部であるフェスティバルパークを目指して町の一本道を各地区の山笠が練り歩きます。また、御御輿は、伯林寺横の御旅所祇園社に泊まります。最終日については、神霊を送るために、山笠を担いで回ります。 
約2トンの重量の山笠を、総勢約40人の男たちが担ぐ。三角の肩座布団をあて、棒と棒の中央で互いの腕を組む。
前から順々に右と左を交代していき、片方の肩だけに負担がかからないようにしている。
掛け声は「エイサー!エイヤサー!」
 
 
最終日は、武者人形などをあしらった華やかな山笠9基が列を作って街なかを練り歩き、勇壮な姿を披露しました。
高さがおよそ9mで、重さは2トンほどあり、60人ほどの男性が担ぎ上げて「エンヤヤッサ、コラヤッサ」のかけ声をかけながら独特の歩き方で進んでいきます。祭りのメイン会場に到着すると山笠同士が向き合ってかけ声をかけ合ったり、山笠を揺らしたりして勇ましさを競っていました。
 
 2日目は学校横の道に山笠8基が集合しました。
 
糸田町の中心(旧役場通り)のフェスティバルパークでのフイナーレ(動画)