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心配した天気も何とか持ち直し恒例の山鹿灯籠踊りの撮影。千人灯篭踊りの会場は山鹿小学校、駐車場は隣の山鹿中学校。6時45分からは浴衣姿の女性約1000人が灯籠を頭に載せ、よへほ節に合わせて踊りを披露すると和紙でできた灯籠の柔らかな光の行列が暗闇に浮かび上がり会場は幻想的な雰囲気に包まれました。
この灯篭踊りは、頭上に金灯籠を載せた浴衣姿の女性達が、ゆったりとした情緒漂う〜「よへほ節」の調べにのせて、優雅に舞い踊る夏の夜の風物詩で8月16日 夕暮れが迫る午後7時前、ハイライトの千人灯籠踊りが行われました。
山鹿太鼓の触れ太鼓で第1部が開幕し、子ども灯籠みこしなどに続き、浴衣姿の女性千人がやぐらの周囲を輪になって「よへほ節」を優雅に踊りました。午後10時からは、各町内に飾られていた奉納灯籠26基を大宮神社に担ぎ込む「上がり灯籠」がありました。
山鹿灯籠踊りはその昔、菊池川一帯に立ち込めた深い霧に、進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を山鹿の里人がたいまつを揚げてお迎えしました。以来、里人たちは天皇を祀り、毎年たいまつを献上したのが始まりです。室町時代になり、和紙で作られた灯籠を奉納するようになったと言われています。この灯籠3万〜4万円するので雨が降れば即中止になるそうです。
(福永攻治)
8月15日
奉納灯籠 (午後/各町内の街かど)
奉納灯籠踊り (18:30〜/大宮神社)
花火大会 (20:00〜21:00/菊池川河川敷 ※雨天の場合は17日(金)に順延)
灯籠踊り (18:30〜23:25/おまつり広場)
8月16日
景行天皇の奉迎儀式 (19:50〜/菊池川河畔)
たいまつ行列 (20:25〜21:10/菊池川→市内→山鹿小学校グラウンド)
千人灯籠踊り (第1部 18:45〜20:15 第2部 21:00〜22:00/どちらも山鹿小学校グラウンド)
上がり灯籠 (22:00〜各町内→大宮神社)
熊本県北部の山鹿市。いで湯と灯籠祭り、装飾古墳などで知られる歴史の街。そこには江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通り、その街道沿いに「八千代座」は今も尚歴史を語り続けている。明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋である。今は国指定の重要文化財である八千代座であるが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前であったのを、山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め平成2年からは「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されている。     ‐‐‐‐‐HPより‐‐‐‐


歩行者天国での流し灯籠踊り


千人灯籠おどりの準備風景
 
 


子供灯籠おどり
千人灯籠踊りに先駆けて 少女灯籠踊りも披露されました。この子達もいずれは千人灯籠の担い手になるそうです。



山鹿小学校のグラウンドでの千人灯籠踊り
山鹿(やまが)灯籠まつりは その昔 景行天皇が九州へご巡幸された時、菊池川に霧が深くたちこめ 行く道がわからなくなったので 山鹿の里人たちが たいまつを焚いて 天皇ご一行の道を案内したことが由来とされてます。
室町時代から 紙灯籠を使うようになったそうですがもともと この地方では 良質な紙の産地であったので紙で出来た灯籠の技術が発達したそうです。金灯籠(かなとうろう)という 灯籠を頭の上に乗せよへほ節などの歌にあわせて踊る 優美なお祭りです。
   
 
 


【山鹿灯籠まつりの由来】                                      .
その昔 菊池川一帯に立ち込めた深い霧に、進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を山鹿の里びとが、松明を揚げてお迎えしました。 以来、里びと達は天皇を祀り、毎年、松明を献上したのが始まり。 室町時代になり、和紙で作られた灯籠を奉納するようになったと言われています。

薄暗闇に千の灯が浮かび、櫓を中心にして渦のように流れ、揺らめく「千人灯籠踊り」は圧巻でした。


 千人灯籠おどりの動画 4分


山鹿中学校の校庭の千人灯籠おどりは桟敷席でなくても十分に見れます。早くくれば三脚が置ける場所も確保できそうです。

撮影機材:ニコンD800、レンズ50-200mmf2.8、  ISO6400  f5.6 ss1/125  三脚