若草写真館へ ベトナムの旅行記へ

2012年(平成24年)2月12日~2月18日の7日間、阪急交通社の【感動のアンコールワットと魅惑のベトナム2都物語】に夫婦で参加しました。アンコールワットの遺跡巡りをと思いましたが、カンボジアはベトナム経由になるのでこのコースになりました。このコースは人気のようでバス1号車・2号車のツアーで、添乗員も2名の旅行となりました。
出発日の福岡は快晴で朝は冷え込み8℃でしたが、午後到着したホーチミンやカンボジア・アンコールワットは34℃の猛暑でした。ベトナムではメコン川やハロン湾のクルーズ観光、カンボジアでの2日間は世界遺産のアンコールワット遺跡巡りに感動しました。何よりも旅行中は天気に恵まれた事と今回は阪急交通社から全員に無線タイプの耳太郎が借用されたので、遺跡の説明や迷子対策に威力を発揮しました。両替は近所の銀行でドル紙幣(1ドル、5ドル、10ドル)と日本円を持参し、ベトナム・カンボジアともドルと日本円で買い物をしました。
2012年2月13日夕刻、ベトナム・ホーチミンより空路でカンボジア・シェムリアップ空港へ到着。空港では大きな夕日と赤く染まったベトナム飛行機を撮影。夕食後ホテルへ。カンボジアでは宿泊ホテルから観光地までは30分位の距離で、ホテルも連泊になり、夜はゆっくりできました。。
(福永攻治)
2 2月13日
(月)

ホーチミンより空路
カンボジア
シェムリアップ空港へ 
夕刻、ホーチミンより空路、カンボジア(シェムリアップ空港)へ。
到着後、アモック(ココナッツカレー)料理の夕食。  (シェムリアップ泊)
3 2月14日
(火)
カンボジア
世界遺産
●アンコールトム観光
世界遺産
●アンコールワット観光
午前:世界遺産アンコールトム観光へご案内
○南大門、アンコールトムの中心寺院○バイヨン、長い参道が本堂へいざなう○バプーオン、王の謁見の場○象のテラス、王族のための寺院○ピミアナカス、○勝利の門
午後:世界遺産アンコールワット観光  夕刻、○プレ・ループ遺跡より夕日鑑賞。
夕食は宮廷舞踊「アプサラダンス」のご鑑賞とアジアンビュッフェ。 (シェムリアップ泊)
4 2月15日
(水)
●アンコールワット
の朝日鑑賞(
●世界遺産アンコール
遺跡群観光
カンボジア・シェムリアップ空港より
ベトナム・ハノイ空港へ
早朝、アンコールワットでの朝日鑑賞
朝食後、世界遺産アンコール遺跡群観光○バンテアイ・スレイ遺跡、王の沐浴地であった○スラ・スラン、王の瞑想用の施設と言われる○バンテアイ・クディ)と☆アンコールクッキー店でのショッピング。
午後、○オールドマーケットへご案内いたします。
中華料理の夕食後カンボジア・シェムリアップ空港より空路、ベトナムハノイへ。
       (ハノイ泊)
現地ガイドの話では、カンボジアへの観光客が多い国の順番は、1位韓国 2位ベトナム 3位中国 4位日本だそうで確かに飛行場では韓国人のツアーは目立ちました。
2月13日 ベトナム・ホーチミン空港~カンボジア・シェムリアップ空港へ      
(シェムリアップ泊 エンプレスアンコールホテル)   
カンボジア・シェムリアップ空港 カンボジアのアンコールワット観光で連泊したホテル
 エンプレスアンコールホテル
 
PM5:30にカンボジア・シェムリアップ空港へ到着したときの夕日とベトナム航空機  
 
 カンボジア(カンボジア王国) 
 
 
ベトナム、タイ、ラオスに国境を接し、インドシナ半島の中央に位置するカンボジア。アンコールワットが往時の栄華を偲ばせる王国です。
首都
:Phnom Penh (プノンペン)
気候:熱帯地方、モンスーンシーズン(雨季)5月~11月、乾季12月~4月
■首都:プノンペン■人口:約1,336万人■面積:約18万km²■人種・民族:クメール人、その他

■宗教:仏教、イスラム教、その他■言語:クメール語、フランス語、英語■通貨:リエル
■時差:-2時間。カンボジアが正午のとき、日本は午後2時
カンボジアに入国するにはビザが必要。カンボジア王国大使館にてビザ申請をします(福岡市天神にもあります)。便利な郵便での受付もしています。空港でのビザ取得もできます。プノンペン国際空港、シェムリアップ国際空港の2箇所 
カンボジアはインドシナ半島の小国であるが、世界文化遺産に登録されているアンコールの巨大遺跡群があることで知られている。なかでも美しい造形美とミステリアスな謎を秘めたアンコール・ワットは、アンコール遺跡の集大成とされ、世界各地からの観光客をひきつけている。アンコール遺跡への起点となるシェムリアップには、近年大型ホテルが相次いでオープンし、観光客の受け入れ態勢も年々整備されつつある。 
 
 2月14日 世界遺産アンコールトム観光~アンコールワット観光      
 (シェムリアップ泊 エンプレスアンコールホテル) 
 アンコール遺跡群:阪急交通社パンフレットより 
1860年フランス人の学者(アンリムーオ)は、カンボジア奥地の森林の中でアンコールワットを発見しました。アンコールの遺跡群は、西暦802~1431年のアンコール王朝時代に建設された寺院群で有名なアンコールワッスリーヤバルマン2世(1112~1152年)によって建アンコールトムはジャヤーバルマン7世(1181~12011年)により外周の塀や内部の主要な建物の建設が完成されたと言われています。この時代のアンコール王朝の王は、王都に巨大な溜池を作り雨季と乾季の水の調整を行いながら水田で3部作を行う豊かな都市で、その豊かな富を背景にインドシナ半島の中央部に強力な王国を築いていました。また、インドからはバラモン経(ヒンズー経)、大乗仏教を取りいれ、盛んに大規模な寺院を建設してゆきました。アンコールの遺跡に残される仏塔や神像は、バラモン経(ヒンズー経)と大乗仏教の文化を色濃く繁栄しています。また、壁面に描かれているレリーフには、当時の国王とその軍隊や家臣たち、ヒンズー教の物語や天国地獄図などが描かれ、当時の様子を知る手がかりとなっています。
 世界遺産アンコールトム観光

アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。またトムは、クメール語で「大きい」という意味でアンコール・トムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれています。アンコールワットからおよそ1.7kmの場所にあり、濠と城壁に囲まれた古代都市の遺跡です。アンコール王朝の王が住んでいました。城壁には5つの大門があり、王宮や寺院に通じています。東門は死者の門と呼ばれ、戦争で死んだ兵士の魂が門から都の中心部にあるバイヨンに帰ってくると考えられていました。東門の北にあるもうひとつの門は勝利の門と呼ばれ、戦勝した兵士たちがこの門を通って都へ凱旋してきました。
アンコールトムの中心部にある寺院バイヨンは仏教寺院で、その回廊には当時の庶民の生活風景や、ベトナム南部のチャンパ王国の水軍との戦いなどの図がレリーフで描かれています。バイヨンの北側にある王宮のテラスは、国王が人民の行進を謁見した場所とされています。勝利の門から入場した兵士たちが王宮のテラスに向かってまっすぐに歩けるように道が造られています。
アンコールの都は王朝が続く間、何度か王都を移転した時期もありましたが、おおむねこの場所に国王が住み、15世紀王朝末期に敵の攻撃を受けて都を放棄するまで王国と共に繁栄したそうです。
 

ホテルAM8:00に出発。午前中は南大門からアンコールトムに入り、バイヨン、パプーオン、タ・プロムを見学し、午後からアンコールワットをまわるコースです。夕方は、夕日鑑賞、アプサラダンス、ショッピング等 暑さ34℃の中の強行軍です。 
アンコールワットの観光には顔写真掲載のパスポートが必要なため、まずこのセンターでパスポートを作成。5分でできあがり、早速、首から下げて、各遺跡の入口で提示して入場。最近は非常に厳しいとのこと。  
南大門
アンコール・トムは、南大門、死者の門、勝利の門、北大門、西大門の5つの門に囲まれて、中でも一番美しいのが「南大門」でアンコール・トムへのメインゲーの道です。
東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施され、両側を蛇神の胴体を引き合う神々と阿修羅の石仏で飾られた橋が架かっていました。
 南大門への橋の両側には、神々と阿修羅がナーガの胴体を引き合う像が両側で108体ありました。  反対側(内側)から見た南大門
 動画 アンコールトム・南大門
 デジタルカメラの動画です。中央をクリックするとスタートします
 
バイヨン寺院
バイヨン寺院の全景
12世紀末に建設された、穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名な寺院です。
都城アンコール・トムの中心にあるこの寺院は二重の回廊と中央祠堂を囲む16基の尖塔から構成され、二層の回廊に囲まれた敷地内に立つ49塔の祠堂には巨大な観世音菩薩に圧倒されました。

バイヨンとはクメール語の発音ではバヨンで、バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つそうです。
 東西約160m、南北約140mの第一回廊の壁面は、12世紀の人々の生活模様が描かれていました。
中央祠堂と四面観世音菩薩
クメールのほほえみと呼ばれている最も有名な一番人気の菩薩像で200リエル紙幣に描かれています。
観世音菩薩が彫られた尖塔は48基だそうです。
動画 アンコールトム・バイヨン寺院
  デジタルカメラの動画です。中央をクリックするとスタートします
 
 
バプーオン寺院

「隠し子」という意味をもつこの遺跡は、3層からなるピラミッド型寺院で、かつてはバイヨン寺院よりも高かったと言われています。
【隠し子の伝説】
その昔、シャム(タイ)王とクメール王は兄弟であった。ある時シャム王はクメール王に自分の息子を預けたが、クメール王の家臣は策謀だと考え、その子を殺してしまう。激怒したシャム王が大軍を差し向けて着たため、王は自分の息子が殺されないように、息子をこの寺院に隠した。それが「隠し子=パープオン」のいわれとなったそうです。

現地ガイドさんの案内で何故かここが撮影ポイントだそうです。

王宮跡
パプーオン北部、東西600m、南北300mの長方形の城壁に囲まれた位置に王宮があったとされていて敷地内には、ピミアナカス、男池、女池、王宮跡などが残っています。
ピミアナカス
王宮内で一番の見所となるピラミッド型寺院で、東西35m、南北28m、高さ12m。ピミアナカスは正しくはピミアン・アカーハといい「天上の宮殿」、「空中楼閣」という意味があるそうです。
ライ王のテラス
像のテラス北側にある高さ約6mのテラスで、壁面にはナーガや神々の彫刻が施されている。テラスは二重で内側は迷路です。テラスにはライ王像のレプリカ(本物はプノンペン国立博物館)がありました。この王はライ病を患って亡くなり、三島由紀夫の癩王のテラス」の題材となっています。
テラスの上のライ王 壁面には緻密な壁画が描かれている
象のテラス
テラス約300mにわたり像の彫刻が施されていることから「像のテラス」と呼ばれ、かつて儀式や式典に使われたとされています。
3つの頭を持つゾウがハスの花をからめ取ってる彫刻。 
タ・プロム
12世紀末にジャヤーバルマン7世によって建設された寺院で、ヒンズー経と大乗仏教のレリーフが混在しています。森の中にある遺跡がガジュマルやその根に遺跡が侵食され、異様な雰囲気をたたえています。ジャヤーバルマン7世が戦争に勝利したことを記念して建設された寺院だそうです。
 ガジュマルの木に浸食された遺跡
昼食は市内のレストランでタイスキ鍋でした。日本人好みでスープ・具ともおいしく、最後のオジアは最高でした。昼食後はホテルで1時間の休憩後、アンコールワット観光です。
各遺跡間に使用した電気自動車  遺跡の入口には売り子が多いので顔を合わせないように歩く。 
   
 
世界遺産アンコールワット観光
アンコール・ワットのアンコールとは「王都」、ワットとは「寺院」。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神を祀る寺院、そして王の墳墓としてとして30年近くの歳月を費やし建立されるされました。すべて石造りで、左右対称の巨大な寺院、はクメール建築の最高傑作といわれています。周囲は東西約1.5km、南北約1.3kmの環濠に囲まれた、幅約190m、長さ600m程もある大規模な寺院で、中央神殿には60度の角度の旧勾配の階段があり、テラスまで登ることができます。アンコールワット全体の広さは1.5KmX1.3Kmで外側を水をたたえた濠が取り巻き、その内側は塀で取り囲まれています。西正面口を入って西大門を通り第一回廊と第二回廊を経てビシュヌ神を祭る中央神殿にいたる造りになっています。回廊には、スーリヤバルマン王の座像や、ヒンズー経の天地創造図、天国と地獄の図、戦争の図などがレリーフで描かれています。 
 アンコールワットは正面が西を向いているので、午前中は逆光になるため、観光は午後からの2時間コースとなりました。西参道の正面でパスのチェックが行われる。ここは海外からの観光客はパスを提示しなければならないのだが、現地の人は素通りできるそうです。
西参道
アンコール・ワットは東西1.5km、南北1.3km、周囲を幅190mの濠が囲んでいます。
西参道正面から西門と左右の祠堂中央に西塔門が見えます。その後ろに中央神殿がかすかに見えています。
 寺院の若い僧侶
入口付近  ナーガ、蛇と西門の前で
 参道から西門入口へ
中央祠堂
 聖池に映し出される「逆さアンコールワット」が撮影ポイントで中央祠堂の隣に立っている左右の祠堂も5つの塔全部が見えました。
 
第一回廊の西側は王族家同士の戦闘の物語・インド古代の叙事詩『マハーバーラタ』が描かれています。5人の王が率いるパーンダヴァ軍VS100人の従兄弟カウラヴァ軍の激戦の模様が描かれていました。
アンコールワットの日本人(侍)の落書き

アンコール・ワット遺跡には、寛永9年(1632年)に同地を訪れた江戸初期の武士・肥前松浦藩士の森本右近太夫が筆と墨で残した落書きがあります。当時、日本の商人や浪人たちが多数東南アジアに住んでおり、こうした人々によってアンコール・ワットは「祇園精舎」の跡地であるという誤った情報が日本に伝わり、多くの人々が海をわたり祈りのために訪れたそうです。アンコール・ワットはこの落書きが書かれた後に一旦忘れ去られ、1860年にフランス人学者のアンリ・ムーオにより再発見された。「父母の菩提(ぼだい)のため、数千里の海上を渡り…」と記された森本右近太夫の記念の落書きのほか、十数箇所の日本人の落書きが1960年代までは残っていた。一度ポル・ポト派の手によってペンキで塗り潰されていたが、現在では森本右近太夫の落書きはペンキの風化によって再び(部分的ではあるが)読めるようになっているという。2003年11月21日には右近太夫の15代目の子孫がこの落書きに対面を果たしたそうです。 
 中央祠堂と西北の祠堂  ガイドの判断で登る人が多く、時間の都合で取りやめになりました。 

第二回廊の内側は実在の女官のモデルで作成したデバターが壁面の至る所に彫られていて、同じ姿、同じ表情はありません。デバターの胸が黒いのがあるが、ガイドの話によれば、観光客が胸を触るので黒くなったそうです。
これはヘアスタイルの違うデバター4体の写真です。

 歩き疲れて休憩中のツアー参加の皆さん
 
動画  アンコールワット
デジタルカメラの動画です。中央をクリックするとスタートします 
プレ・ループ遺跡の夕日鑑賞
ラージェンドラヴァルマン2世が建てたピラミット型の霊廟で最上層には5つ堂塔が立ち、第1階層の中央テラスに石で造られた槽があります。この石槽の中で死者を荼毘に付し、その灰で死者を形どった線を描く儀式が行われたそうです。この儀式をプレループ(体を変える)と呼んだことから、この遺跡をプレループと呼ぶようになったと言われています。
夕日鑑賞に急な階段を登るとすでに観光客で満席状態でした。夕陽を見るために、最上層に行くには早めに。
 塔と獅子象から夕日の撮影
宮廷舞踊・アプサラダンス
今夜はアプサラダンス鑑賞とアジアンビユッフエの夕食でした。
 
動画 アプサラダンス
デジタルカメラの動画です。中央をクリックするとスタートします 
 2月15日 アンコールワットの朝日鑑賞~アンコール遺跡群観光~ハノイ      
                  (シェムリアップ泊 エンプレスアンコールホテル) 
今日は早朝の朝日観光、午前中はアンコール遺跡群の観光 昼食後昨日のようにホテルで休憩(シャワー・仮眠)してオールドマーケットでショッピング。夕食後に飛行機でベトナム・ハノイへ。 
アンコールワットの朝日鑑賞
早朝のカンボジアは肌寒くダウンジャケットを着てホテルを5:40に出発。西門到着後はガイドの案内と懐中電灯で 聖池までいきましたが、既に三脚がいっぱいでした。何とか場所を確保して三脚を設置し、日の出を待ちました。
 
世界遺産・アンコール遺跡群観光
スラ・スラン
バンテアイ・クディの正面に広がる広大な池で、「王の沫浴のための池」と言われています。
バンテアイ・クデイ 
シヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられたバンテアイ・スレイ. 当時のアンコール王朝摂政役の王師ヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建設され、「女の砦」の意味を持つ寺院。
外壁は赤色砂岩とラテライトの色彩に彩られ、周囲、約400m。屋根の一部にはレンガも使用された美しい遺跡である。「東洋のモナリザ」と呼ばれる優美なレリーフがあることでも有名。
バンテアイ・スレイ 
大乗仏教の寺院。ジャヤーバルマン7世によってヒンズーの寺院を仏教寺院に改築されたものです。東西700m南北500mあり、堀と塀に囲まれています。外壁は赤色砂岩とラテライトの色彩に彩られ、周囲、約400m。屋根の一部にはレンガも使用された美しい遺跡である。「東洋のモナリザ」と呼ばれる優美なレリーフがあることでも有名。
 第二周壁の塔門には「マハーバーラタ」を描いたレリーフが現存して彫刻の彫りも深く、見事でした。
 これが人気の東洋のモナリザ像です。
オールドマーケット
オールド・マーケットは、現地ガイドの案内の店で集合、40分間町を見て歩きしました。値切ってから買いましょう。
中華料理の夕食後カンボジア・シェムリアップ空港より空路、ベトナム・ハノイへ。ハノイ泊 後ハロン湾観光へ
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