若草写真館へ


正月明けの1月7日、大善寺玉垂宮の鬼夜を写真撮影と思い、寒さが厳しい中、午後5時半の西鉄電車で出かけました。西鉄春日原駅から急行で40分、大善寺駅からは徒歩で5分の距離でした。ネットで調べた祭りのスケジュールに沿って神社境内を見て回り、神社の社務所にいき、有料の観覧席を2千円で購入、近くの弁当屋で腹ごしらえをして、観覧席の入場(午後7時)を待ちました。その間、祭りの世話人から、撮影場所や祭りの見どころを聞き、撮影場所、順序を決めました。午後7時から始まった鬼夜は午後11時半まで続き、電車の最終便ぎりぎりまで撮影して帰りました。有料の桟敷席からの撮影は9時からの大松明点火から大松明移動の約1時間でそれ以外は境内の周りを移動しながらの撮影でした。(福永攻治)


久留米市・大善寺玉垂宮(たまたれぐう)
1月7日に久留米市大善寺でおこなわれる大善寺玉垂宮 鬼夜は鞍馬の火祭那智の火祭等と並んで日本三大火祭りに数えられていて、1600年余の伝統のある邪気を払う追儺の祭祀で国の重要無形民俗文化財に指定されています。
大善寺玉垂宮はおよそ1900年前に創建されたといわれている古社で長い間神仏習合の神社だったそうです。境内は約1万5千uの敷地を持ち、本殿、幣殿、拝殿、楼門、惣門、回廊、御輿殿、石鳥居、社務所のほか、鐘楼、鬼堂がありました。ここで毎年、1月7日に「鬼夜」が行われています。
大晦日から1月7日まで神官が燧石で採火した御神火(鬼火)を護り、天下泰平・五穀豊穣などを祈願し、これを鬼会〔おにえ〕といい、その結願の行事こそが1月7日の追儺祭である
鬼夜(おによ)だそうです。
(行事の流れ)
裸の若衆の境内参集
(7時すぎ)→汐井汲み神事(汐井口開け、8時)→シオイカキ(8時10分)→境内全消灯(8時50分)→タイマワシの松明下揃い(9時)→大松明に点火(9時20分)→鉾面行事(9時30分)→大松明始動(9時40分)→大松明本殿西側止め(10時)→鬼の堂回り(10時)→一番松明の火取り(10時20分)→惣門くぐり(10時30分)→一番松明消火(10時30分)→鬼の禊(10時40分)→大松明2周目(10時50分)→厄鐘(11時すぎ)→大松明すべて消え行事終了(11時20分ごろ)
大善寺玉垂宮の正面鳥居 霰川(広川)にある汐井場
点火を待つ大松明。全長約13m、直径1mの大松明が計6本境内に鎮座します。


たいまわしの境内参集
午後7時すぎから、それぞれの地区ごとに集合したヘコに腹巻き姿・三つ巴の神紋を染めた鉢巻を締めた「たいまわし(氏子)」たちが手に手に提灯や小松明を持って境内の裏手に参集し、焚き火の周りで祭の開始を待ちます。




たいまわしの汐井かき
提灯を高く掲げる「手々振〔てでふり〕」と手々振を左右で補佐する「助〔すけ〕」を先頭に、地区ごとに隊列を組み、提灯や松明を掲げて境内の裏手から本殿の左手を通って汐井場へと下り、参道を駆け抜け、社殿に上り、これを三往復して気勢を上げます。この間、参道は松明の炎で赤々と照らされていました。
白鉢巻きにさらしの腹巻き締め込み姿のほぼ裸同然の若衆がワッショイ・ワッショイと声をかけながらの行進でした。


 
本殿で折り返し・・幼児を肩に乗せ、境内裏手で出を待つ組 


汐井汲み神事
午後8時、太鼓の合図とともに本殿から二本の手松明を先頭におよそ12人の行事役職者が汐井桶を担いで参道前の霰川(広川)の中ほどの四角く区切られた汐井場で禊をおこない、お汐井を汲んで帰り神前に供えました。



大松明(だいたいまつ)点火
午後9時、鐘楼の一番鐘を合図に境内の明かりが一斉に消され(露店の明かりも)、一番松明から順に社前で直会をし、鬼堂前に並べられている大松明の前に勢揃います。この大松明は長さ13メートル、頭部の径1メートル、重さ1.2トンもある巨大な松明で、芯に三本の大きな孟宗竹を束ね、周囲に笹竹を寄せ、さらにその回りを3〜4センチほどの真竹で包み込んで化粧竹としたものだそうです。
午後9時半、二番鐘の音とともに奥神殿から現れた鬼火が小松明に移されてから大松明へと厳粛に運ばれ、その炎が一挙に大松明へと移され大松明は巨大な炎を上げ、火花と爆竹音のはじかせて壮観な炎の祭典となりました。
 いよいよ一番松明の入場します。
   
 

 







炎を灯された大松明に時折若衆が登り、芯の竹を束ねている縄を切って火の勢いを保つていました。






(鬼夜の動画)

鉾面神事
9時30分頃、大松明の熱いほどの炎を前にして、赤・青の天狗面が本殿から鬼堂の前へとゆっくりと歩き、それから互いに剣を交えます。「鉾取った」「面取った」「ツラ抜いだ」の相克の魔払いの鉾面神事がおこなわれ、「そら抜いだ」を合図に太鼓や鐘が打ち鳴らされて祭はクライマックスを迎えます。鉾面神事に用いられた鉾紙は安産・幸福をよぶ御札として珍重され販布されました。

赤鬼面が鉾に続いて登場、そのあと青鬼面も登場



大松明移動
大松明がたいまわし(氏子)達の手にしたカリマタ(樫の棒)で支え上げられ、氏子たちが手にした尻引綱によって引っ張られて、火の粉を撒き散らしながら時計回りに境内を回りました。
大松明を巧みに移動していく



たいまわしや見物人にも容赦なく火の粉や煤がかかります。鬼夜の火にあたれば病にかからず、難を逃れるというご利益があります。また大松明を結わいている縄もご利益があるとのことで、切った縄が投げられると人々がそれを受け取ろうと手を伸ばします。


大松明本殿西側止め、鬼の堂回り
大松明が神殿を時計周りに移動を開始します。重さが1.2トンある大松明をかしの木の棒で支えながらゆっくりと進み、移動時には火の粉が若衆や見物人に降り注ぐ場面は迫力がありました。大松明の移動は神殿を数回周りこの大松明が燃え尽くされるまで続きました。火の粉を浴びながら、かり又(樫の棒)で支え上げ動かす男たちの体は真っ赤に染まっていき、やがて6本の大松明が無事、本殿の西横に移動されました。









はじける散る大松明



PM11時半過ぎ、一番松明が鬼堂の東側で「火取り」をおこない、境内を下って惣門をくぐり、汐井場で火を消します。火が消されたのを見計って子供や棒頭に護られた鬼が密かに汐井場で禊をおこない、本殿に帰り、鬼が神殿に帰ると明かりが灯され、神事の終わりを告げる厄鐘が7回・5回・3回と打たれました。二番以降の大松明の炎は桟敷席の横のあたりの境内の隅で消され、午後11時半頃にすべての行事が終わるそうです。
この祭りは日本三大火祭りだけに
大変勇壮で迫力ある祭で、カメラマンにも人気の祭りでした。ただ社務所の方の話しでは最近は財政難で祭りの維持管理が厳しい状況のようですが、地元の人たちや、保存会の人たちの努力によって、「鬼夜」は、継続されることを願っています。 
撮影機材:ニコンD7000、レンズ17-50mmf2.8、三脚、小型脚立、カメラ内臓フラッシュ使用、リックサック、運動靴
                火の粉を浴びて、服は匂いますので要注意!!。


2015年 久留米市・大善寺玉垂宮の鬼夜
この鬼夜で撮影した14枚の写真はタブレット、スマホ向けに毎日新聞とスポーツニッポンの記事を編集した日刊電子雑誌「毎日スポニチTAP-i」に掲載。この電子雑誌は、わが街の自慢(祭り、イベント、風景、グルメなど)を地元カメラマンが撮影してそのまま全国へ発表するコーナーがあり、わが街自慢の誌上写真展です。 
毎日新聞デジタルメディア局